【Vol.296】先に言う価値

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 面白いもので、どうやら人間の世界では、言ったり言われたりするその順番に、ある種の価値があるように思います。
 この間も、クライアントのご担当と、その上司の方とのやり取りを見ていて気が付いたことがありました。
 そのご担当、当日の会議に合わせて色々な準備を進めていたのですが、実は、ご担当以外は誰も気が付かないような大事な資料を密かに作っていたのです。
 当然、その上司も気づかないであろうと、そのご担当は思っていたに違いありません。会議が始まる前のご担当は、まさに余裕綽々(しゃくしゃく)で、その資料をどのタイミングで出すか、そんなことを計っていたようです。
 そのようなご担当のお楽しみ、私は事前に知っていたのですが、さて、会議が始まってしばらくして、いよいよご担当がその資料をお見せしようと、その瞬間でした、まさにタッチの差とも言えましょうか、上司の方が、「ところで、このような時に、こんな説明資料があるといいのだが、〇〇君、用意はしているだろうね」と、資料があるのは当然、いや、もしも用意していないのなら問題とばかりの先制パンチを見舞ったのでした。

 ここで、ご担当の様子はと言いますと、まさに、自分から言い出そうという矢先に言われてしまった、その悔しさと言いますか、少し憮然とした態度になってしまったのです。
 気持ちは分かります。サプライズをしようと考えて、しかも相当の時間を割いて作った資料なのに、それをアッサリと有って当然と言われたのだから、たまりません。ご担当の心中、面白い筈はないでしょう。
 しかし、私はフッと思ったのです。もしも、言われる前に、或いは会議が始まる前に、上司にこの資料があることを説明しておいたらどうなったでしょうか。きっと、上司は喜び、「キミ、よくやってくれた」と、褒めてくれたに違いありません。そして、ご担当の手柄として、資料の説明を任せた事でしょう。

 この出来事、他人事ではありません。私たちは、何かを言う、或いは、何かをする順番について、案外、策略に走ってしまい、それが逆の効果になってしまうことがあるのではないか、そう思うのです。
 このお話は、ご担当が自分の手柄を作ろうと、言い出すタイミングで目立たせようと考えたところ、それが見事に先に言われてしまって失敗したということです。先に言ってさえおけば褒められ喜ばれることを、自分の手柄を優先させたばかりに裏目に出てしまった、そういうことなのです。
 このように、何かを言ったりする順番は、とにかく気付いたときに先に言ってしまえば良いのではないかと思います。もっと言えば、策略を計る前に、とにかく先に言ってしまうことが大事で、そこに価値があると思うのです。
 人間は面白いもので、何かをやろうと自分で思っていることを、先に誰かに言われるとふてくされるのです。どうせ同じ事をするのですが、言われる順番が違うと気分が悪くなる、そんな感情を持つ唯一の生き物ではないでしょうか。
 大事な事をもったいぶってタイミングを計るより、先に言ってお役に立とうとした方が、気持ちも結果も良くなるのです。

 えっ、私はどうかって? 勿論、先に言いますよ。でもね、最近は、何を言うか、それを忘れるのですよ。ははは。