【Vol.242】一対四十九

 前々回のBP通信「牛乳びんのフタ」は、私の人生の転機について書いたものでした。その1とその2、二回に分けて書きましたが、その2の最後に、二つ目の転機があると書きました。一つ目は小学三年生のときでしたが、今回は二つ目の転機のお話です。タイトルが「一対四十九」、一体、何のことかと思われるでしょうが、本当に一対四十九。ズバリ、そのような事があったのです。
 それは、中学二年の春でした。剣道をしていた私は、剣道部に入っていて、新キャプテンの選挙に立候補したのです。小学校四年のときから始めた剣道、自分で言うのも変ですがとても強く、最初に出た試合は一回戦負けでしたが、以後、県内の試合では、23歳でやめるまで一本も取られたことがなく、完全試合の連勝記録を14年間続けたほどです。当然、中学でも小学生からの連勝記録が続いておりました。
 その、向かうところ敵なし状態で臨んだキャプテン選挙、私自身、キャプテンになるのは当たり前、そう思っていたのです。実は、立候補した生徒はもう一人いて、小学生時代からずっと同じ町内の同級生W君です。私とは親友と言っていいくらいの仲良しで、家も近いし、いつも一緒に通う仲でした。剣道の腕前は相当に強かったのですが、これも私が言うと変ですが、いつも私の次。試合ではいつも決勝で当たり、私が勝つということが続いていたのです。そのW君と、キャプテン選挙では一騎打ちになったのです。
 選挙は無記名、開票は正の字を一票ごとにひと筆ずつ書いていくやり方です。黒板には立候補したW君と多喜君、二人の名前が大きく書かれて、その下に正の字を書いていくのです。
 開票が始まると、最初に開いた票はW君でした。さあ、次はボク、ワクワクしたのを覚えています。しかし、次もW君、しばらくして、やっと多喜君が出てきました。そして次もW君、次も、次も…。そうして、50全ての開票が終わった結果が、一対四十九だったのです。
 多喜君の名前の下には一の字がひとつ、そしてW君の名前の下には、ずらりと正の字が九つと、正の字の下の横棒が無い字がひとつ、それが黒板に書き記されたのです。剣道部員50名で行われたキャプテン選挙の結果が、これでした。
 進行役の部員が下を向いたまま、「新しいキャプテンはW君に決まりました」と、淡々と告げました。誰にも笑顔はありませんでしたし、祝福の拍手もありませんでした。

 今、こうして書いていても涙が出てきます。悔しいというより、情けなさでいっぱいでした。そこから、逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。何が何だか分からない、大きい何かに押しつぶされるような感じでした。そして、本当に、死にたい、と思いました。
 それからのことは殆ど覚えていません。何をしゃべったのか、どうやって家に帰ったのか、今でも、何も思い出せないのです。とにかく、しばらくのあいだ、何をする気にもなりませんでした。誰にも会いたくありませんでした。

そして時が経ちました。どのくらいの時間が経ったのでしょうか、いつ、どうして、どのように、それも覚えてはいませんが、とにかく、私は変わりました。
 何とか立ち直りたいというより生まれ変わりたい、その思いで必死だったのでしょう、私は、変わりました。
 人間は、本当に苦しいと、その苦しみや痛みを感じなくなるという話を聞いたことがあります。心に大きな傷を負ったり大けがをした時、その一瞬の記憶を消してしまうように神様がそのようにしてくれているのだと、誰かが話してくれましたが、私の場合もそうでした。二度と、あんな苦しい思い、“一対四十九”を忘れたいと、きっと無意識のうちに私の脳がそのように処理してくれたのだと思います。

 私は本当に生まれ変わりました。W君がいつも決勝で私に負けて、どんな気持ちでいたのだろうか、そんなことを考えるようになりました。剣道が強くて、威張っていることに何の意味があるのだろうか、…自己中心でいたことに気付きました。

 それから、更に時間が経って30歳を越した頃でしょうか、“一対四十九”のことを思い出したり、意識するようになりました。苦しいとか辛いという感じはありません。一対四十九の選挙があって、本当に良かった、そのように思えるようになったのです。
 あの選挙がなかったら、今の私はないでしょうし、私はあの時、大事な大事な人生の転機を得たのです。長い人生を生きる為の、人間関係の基本を知りました。誰も一人では生きられないし、誰に勝つことも、そして負けることも無い。周りの人たちに、私は生かされているということを、実に分かりやすく、私は教えてもらい、そのお陰で、私は今、幸せなのです。
 一対四十九、これが、私の人生、二つ目の転機です。
 
 さあ、それでは今、また選挙をしたらどうなるか、ですって? う〜ん、あの時のメンバーなら、きっと同じですよ。やはり、一対四十九になると思います。
 でも、今度はみんな笑いながら投票しますよ、楽しそうにね。お前、ちゃんとやっているか? そんな顔をしながらね…。 

以上