【Vol.171】両手で操る剣

 よく議論されることですし、自分にとっても素朴な疑問です。それは、なぜ日本人は器用なのか、ということです。
 まあ、不器用な人もいますので、全員がそうではありませんが、一般論として日本人が器用と認められているのは事実です。なぜ器用なのか、諸説ありますが私が感じたことを申し上げましょう。断っておきますが、これは私の個人的な意見で、日本人が器用になった絶対的な理由ではありません。しかし、これから申し上げるような事もあるのではないかと思うのです。
 武器としての剣(つるぎ)の話です。室町以降、日本では様々な剣術の流派が発達し、有名なものは一刀流、新陰流、示現流などがあります。剣術は、後に日本剣道形として共通の形になり、今では世界選手権もある競技になりましたが、使われた剣の持ち方は、まさに日本だけの特長がありました。それは、剣を両手で持つことでした。

 およそ私の知る限り、剣の類で柄(つか・手で握る部分のこと。長さはおよそ手首から肘くらい)の長いものはありません。両手で振り回す中国の青竜刀は、元々薙刀(なぎなた)ですから部類が違います。
 古代エジプトの剣もフランスのサーブルの剣も、殆ど片手で持つようになっていて、柄の長さも短く、相手を突いたり斬りつける(斬り落とす威力は無い)のが基本です。その点、日本刀は突くのは勿論、斬り落とすことや、相手の剣を跳ね返したり切り返したり、実にタフでしかも使いやすく出来ています。当然、剣の基本的な性能としての強度も十分にあり、その為に刀鍛冶は武器である日本刀を、高度にしかも芸術的に鍛え(鍛造)ました。剣としての強度が日本刀ほど優れているものは他にありません。それは、戦う時に求められる技(わざ)が多様化していて、突く為に先端が尖っている設計や(青竜刀のように)重量に依存するような性能では、存分に剣を操ることができず、思うように戦えなかったからなのです。

 更に江戸時代、日本刀という剣を操る武士は、自らの意思で道場に通い、益々、技を磨きました。(武士の任務である)戦争をしなかったのに、競って道場に通う。異常と言えば異常ですが、ここで大きな成果が生まれました。剣術の技の発達です。
 流派ごとに、実に多くの「返し技」や「応用技」、相手の力を利用する「落とし技」など、様々な技が創出され、発達して行ったのです。戦争が無かったので、稽古をする余裕があってそうなったのか、今になっては分かりません。しかし興味深いのは、武器としての威力がはるかに勝る鉄砲は専ら下級武士が扱ったのに対し、剣術は上級武士に必要不可欠なものでした。
 上達すれば昇級したほど、上級武士にとって剣術の技は重要だったのです。両手で日本刀を扱い、技を鍛錬する。言い換れば、剣術と言えども、社会の最上階級層が技術を磨いた時代。それが江戸時代に約三百年間も続いたのが、日本なのです。
 やがて剣道と呼ぶようになり、己の生活と人生を賭ける者は少なくなりましたが、剣道を学んだ私は、実に多くのことをビジネスの世界で実践しています。お気付きでしょうが、経営は稽古と言ってみたり、遠山の目付け(俯瞰する視点)など、私はビジネスに役立つ視点を剣道から学んだのです。しかし、それは単に私だけのことではなく、日本人の持つ器用さと勤勉さの基になっているのではないかと思うのです。
 剣を両手で持ったから日本人は器用になったのか、器用だったから両手で持ったのか、どちらかは分かりません。でも、間違いなく日本人は器用ですし勤勉です。
 武士は、ゼロ成長だった江戸時代、限られた家督を継承する為に質素勤勉という精神性を求めるしかありませんでした。それが武士のDNAになったのかもしれません。そして、そのDNAが日本中に伝播し、豊かな文化や芸術を醸成する技巧の礎になっていったのです。

 戦争しなくても、サムライは勤勉で技術を向上させ、心は豊かでした。
 そう考えると、今の時代も、何とかなると思うのですが如何でしょうか。