【Vol.101】開発は誰のために

 久し振りに机を叩いてしまいました。クライアント先での開発会議の席です。
 ご担当も、魔が差したのでしょうか。いつもはそんなことを言わない方なんですが、勘違いもあるようです。事の顛末は、お願いしていた開発テーマの実験結果が思うように行かなかったことから始まりました。
 私たちは開発のお手伝いをするとき、他の企業にも協力して頂くことがよくあります。「友達のともだちは、皆トモダチ。」そう言って、ご縁を頂いた企業の皆さんに協力してもらいながら、開発の輪を広げていくやり方です。そして、この輪は、実は、開発に伴うリスクとコストを軽減することにもつながるので、多くのクライアントがこの輪に賛同し、結果、文字通り異業種交流的な輪が広がっています。

 その、協力して頂いた企業が出していた機械の仕様書の数字が、その機械を使った実験値と違うというのです。ご担当は「数字が違うのは信用できない」と言います。多分、この実験に期待していたからこそ余計にガッカリしたのかも知れません。でも、私が我慢できなかったのは、「どうせ機械を買わせたいのだから、都合の良い数字にしているのだろう」と言われたことです。思わず、「冗談じゃない!」、「こちらからお願いしてやってもらった事だし、何もお金の話なんかしてないのに、そんなことを疑うなんて・・・」というやり取りになってしまったのです。しかも、その機械はこちらの要求に合うように作られているものではなく、実験はご好意でしてもらったものです。続けて、「そんなに信用できないのなら、自分で行って確かめてらっしゃい!」と言った私に、「紙を見て信用できないのだから、行っても無駄だ。」と頑として譲りません。

 机を叩いて大声を出したこっちも悪いのかも知れませんが、自分で確かめもしないでトモダチの悪口を言われたら黙ってはいられません。大体、先ずは先方に御礼を言うのが先でしょうに。その開発会議はそこでオシマイ。さっさと帰って来てしまいました。

 私がどうしても我慢できなかったのは、誰のための開発なのか、その最も基本的な姿勢に疑問があったからです。(自分達のために、しかもご好意でしてもらった)結果が良くないから、そこでお終い。それじゃあ、誰のための開発か分かりません。自分達の意志で、自分達のためにしたことならば、当然、自分で行って確かめる筈ですし、そうすべきです。
しかし、そこが違っていたのでしょう。私たちが間に入った実験なので、「お任せ」という気でいたのかも知れません。それにしても、結果を云々言うなら、先ず自分が行って、見て、触って、そして結論を出せばいい事です。
 たまには、こういうこともありますが、しょっちゅうあっては困ります。

 開発とは自社や自分のためにすることです。私たちSIはその支援をしているのに過ぎません。「お任せ」は百歩譲っても、「お仕着せ」の開発なんてありません。
 開発とは、自己の将来を、自らが切り拓く、前向きな行為なのです。