【Vol.81】知恵の喉元

 まあいつも思うことですが、本当にこの国は凄い国だと思い知らされる場面に出くわすことがあります。でも、多くの方々が気付かずにいる。それは「喉元過ぎれば熱さ忘れる」と同じような理由ではないか。今回はそんなお話です。

 ついこの間のことです。大学の実験室にお邪魔したときです。そこで「量産」されていたのは、なんとフラーレンなのです。
ご承知のようにフラーレンとは多数の炭素原子が、かご型に結合している分子のことで、最近では「カーボンナノチューブ」も併せて、大変注目されているものです。しかも、フラーレンは大変に高価なもので、多くの研究者は先ず材料を調達する予算を獲得することが最大の「研究課題」?になっているくらいの夢の材料です。
 その、フラーレンが量産されているのです。実験室に置かれた装置のお尻のところに設置された電極に、真っ黒な塊として、何十万円分のフラーレンが捕集されているのです。「これでどのくらいの時間がかかるのですか。」私の質問に「まあ、実動で30分くらいですか。」と、涼しい顔で先生が応えます。心の中でそろばん勘定すると、一日で数百万円の生産能力です。私の知る限り、どこの研究機関でも量産技術が重要だと分かっているのですから、こんなに簡単に言われると、困ってしまうくらいです。

 ひとしきりの感嘆と驚きの時間が過ぎ、極めて単純な質問をしました。「一体、先生はどのようにして量産技術を開発されたのですか」「いやぁ、大した事ではないのです」。続けて「特に言うなら条件でしょうか」こちらの質問に淡々と言うより、むしろ話す程のことではないくらいの感じです。私としては素朴な疑問とでも言いましょうか、凄いことがあった筈です。訊きたいことは山ほどあります。装置の設計から立ち上げ、稼動するまでのこと、条件を見出すまでの実験の様子など、兎に角こちらは素人ですから文字通り「根堀り葉堀り」です。そのうち、先生の顔が真剣になってきました。「そうか、結構大変だったな。」自分に言い聞かせるように呟かれました。

 更にしつこく訊いていきます。それはもう、まるで刑事が容疑者を尋問しているような感じです。次第に、先生の重たい口から出る一言ひとことが全部貴重なノウハウであり、知的財産権の塊であることが分かってくると、その場はなんとも言えない神聖な空気に包まれました。聞けば聞くほどに、この開発は困難を極め、幾多の試練がありました。先生は文字通り艱難辛苦を乗り越えてこられたのです。

 最後に先生に訊きました。「そんなに大変な研究だった野に、先生はなぜそんなに平然としておられるのですか」。先生は笑いながら「だって、済んでしまったことですから」。私ははっとしました。
 そうなんです。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」。知恵にも喉元があり、難関を乗り越えて乗り越えてしまうと、この先生のように直ぐ忘れてしまうものなんです。

 さあ、この国の優れた知恵を発掘するために、一度飲み込んで忘れてしまった知恵を掘り出しましょう。知恵の喉元ですョ。