【Vol.76】未必の故意的おべんちゃら

 未必の故意(みひつのこい)という言葉があります。行為者は罪の意識が無い、もしくは意図・希望しないのですが、結果、思わしくない事実の発生を認めながら、あるいは想定しながらする行為です。
 最近、このような未必の故意的な言動が、かえって良くない結果を招くのではないかという事に気付きました。ある人がやろうとしている行為に対して本当のことを言わず、却って仇になるようなおべんちゃらを言ったり、誉めそやすような事は、実は大変不誠実で結果的に罪を犯すのと同じようなことだと感じたのです。

 その方はある会社を立ち上げようとしていました。そして、その企画は私が関係している業界に近いこともあり、私に知人を介して相談に見えたのです。詳細を伺うと、結論としてとても成功する案件ではないので、私は諦めることをお勧めしました。ところが、「いやあ、この企画はお話しした殆ど全ての方に誉めていただき、中には出資さえしようという人もいるのです」と、私に食って掛かるありさまです。知人の紹介でなければ、黙って席を立つ私ですが、そこはこらえて丁寧にお話ししました。
 誉めた方は要するにおべんちゃらを言っただけで、いたわるようなつもりかも知れませんが、中途半端な表現が逆に誤解(この場合、いい気分にさせてしまう)を生じ、結果、相手が間違ってしまうことになったのだと思います。案外、私達はこのように相手を単純に誉めそやす事で、その場を繕ってしまいます。何の罪悪感も無いのですが、そのような「未必の故意」的な対応が、却って最悪の事態を導く結果になる事を明確に認識するべきではないでしょうか。
 勿論、ご相談に見えた方は悪い人ではないと思います。しかし、本当にダメな時、「ダメ」と言われた事が無いように思えました。知人の紹介でなければ、どうでもいいのですが、今、ハッキリとダメと言ってあげなければ、その方は本当に失敗してしまいます。私やクライアントがさんざんやってダメだったのですから「お墨付き」です。この企画はどう贔屓目に見てもダメはダメで、やらないことが一番です。

 その日は午後から講演があり、三時間半しゃべりました。60人くらいの参加者、それも若手の経営者ばかりです。丁度、同じくらいの年回りでしょうか。朝、ご相談でお話ししたことを振り返りながら、「是々非々」「自立」「汗」という点を強調して講演しました。その方を私に会わせた知人が、何か私に言わせたいことがあったのかもしれない。そんなことも考えながら話しました。

 疲れましたが、いい一日でした。