【Vol.77】「モノからコト」の時代

 「もう、コストでは勝てない・・・」。ある地域の開発相談会で多くの経営者が同じようなことを言い増す。そのとき、もっと声を大にして言わなければと思い、次のような話をさせて頂きました。

 わが国の戦後を語る上で「大量生産・大量消費」の時代があったことを否定する方はいないと思います。大戦で負け、焦土からの復興には大量のモノが必要でした。何も無い時代には、作るそばからモノは売れます。生活が豊かになるに連れ、次から次へ生活必需品が生産され、そしてまた、より新しい日用品が必要になる。国民全てに3C(マイカー、クーラー、カラーテレビ)が揃うまで、良いものを大量且つ安価に作る仕組み。今思えばそれがメーカーにとって最良の戦略だったのです。
 しかし、今の日本はどうでしょう。自分は欲しくても持てないが、国民殆どが持っている生活必需品などは、もうありません。大抵のモノが揃っていて、今では「他人は持っていない、自分だけのモノ」が欲しい時代になっているのではないでしょうか。自分だけの自慢できる「特別のモノ」が、今日の日本人が欲しい商品です。
 このような商品は多くの場合、従来の生産体制では作り難くなっています。特別のモノは、少量・多品種・異形で、そのうえ注文は、不定期・低頻度でやってきます。つまり、特別なモノを作る体制は、従来のように大量・一品種・均一・定期・高頻度発注の大量生産方式ではできないことを認識しなければいけません。逆に、生活必需品や消費財は、大量生産でなければ間に合わないし、それこそ日本で作ってはコストが合いません。残念ですが、もう中国をはじめとする元気なアジア諸国に任せるほかは無いのかも知れません。
 そのうえ、これだけ生活者の嗜好や興味が多様化してくると、お客様の注文は単なるものだけではなくなります。こだわりと言いましょうか、商品に「物語」や「意思」を求めるようになってきます。商品の背景にある歴史やストーリー、或いは自分を代弁・主張するアイデンティティーを商品に求めるようになってきます。こうなると、もう商品は単なるモノだけでは競争力を失います。商品に「意識」や「思考」といった要素、即ち「事柄(コトガラ)」が必要になるからです。
 商品が持ち主の人柄も代弁する「コト」を表現するようになると、もうそれは単なるものではありません。そして、「コトガラを売買する」とは言いません。つまり、コトガラには使用料や参加料、従量制やロイヤリティーという「契約」が必要になるのです。契約には期間があり、当然、条件も様々です。つまり、商品の売りっぱなしではなく、顧客と売り手が交わす契約という「新しい関係」と「付加価値」が生まれます。更に、契約というのは短期に終わるより長く続くほうが良いに決まっています。契約というのは付加価値を高め、しかもお互いの関係を継続させる仕組み・戦略でもあるのです。要は、モノを売るより如何に契約関係ということにもって行くか、なんです。

 コストに打ち勝つ戦略。さあ、「モノからコト」の時代が始まります。