【Vol.346】老いのないこと

 この年齢になりますと、少しだけですが「老い」を感じるときがあります。正直、以前は簡単にできたことができなくなったり、できにくくなったりすると、チョッピリ老いを意識してしまうのです。
 例えば、日課としている腕立て伏せも、連続してできる回数が減ってきました。150回くらいは平気でできていたのに、この頃はそうもいかなくなってきたのです。100回を超えたあたりでハアハアと息が上がり、最後にはプルプルと腕が震えてしまいます。
 以前なら、そうなったときにはまた少し頑張って筋トレをすれば連続回数は復活したのですが、それもできなくなってしまっています。
 どうあがいても強がりを言っても、フィジカルは老いるということなのです。
 一方で、最近、フィジカルと無関係のコト(事柄)をすれば老いを感じることはない、ということに気付きました。そこで、私は老いのないコトを探し始めたのです。

 そして、見つけました。老いを感じることがないコト――。それは「想うこと」ではないでしょうか。何かをするという想い(気持ち)自体は、老いることはありません。
 そう考えますと、老いることのない想いなのですから、安心して長期的な想いの計画を立てることが可能です。老いがないのですから、時間軸は関係ありません。

 で、考えたのが「人を好きになること」です。性別は関係ありません。とにかく「ああ、この人はいいなぁ」というような好ましい人と多く付き合い、その人を好きになり、友達になるのです。
 思い出してください。小学校に入って最初に友達ができたという、あの感激。ワクワクドキドキだったじゃありませんか。その感激は、学年が上がって組替えがあるたびに、そして中学校、高校でもワクワクドキドキしていたのではないでしょうか。

 でも、そのワクワクドキドキは、いつの間にか失せてしまいました。私も今、これを書き始めて気付きました。あれだけのワクワクドキドキという感激が、なぜ失せてしまったのか。

 その要因は、自分で、想いというパワーをシュリンクさせ、老いさせてしまったからではないでしょうか。先ほどまで、想いは老いることはないと言っておきながら変な話ですが、若い頃は大人になりたいという本能が故に、想うパワーを自分でシュリンクさせてしまうようなメカニズムが働くのではないか、と。つまり、無邪気なワクワクドキドキという想いを、大人になるには邪魔なものとして自らが引っ込めてしまったのです。
 おかしなことですね。子供時代は黙っていてもワクワクドキドキが湧き出てくるのに、やがて、自分の想いでそれを抑制してしまうなんて。

 でも、それを思い出し、自分の想いで、再びワクワクドキドキという感激を呼び戻すことは可能です。

 そこで提案です。
 想いをご一緒しませんか。
 素敵な人がいたらご紹介ください。そして、私がその人を好きになったら、他の好きな人に紹介します。そうして想いがつながり拡がっていけば、めちゃくちゃ楽しいに違いありません。いつか書きましたが、友達のともだちは皆トモダチになるのです。

 さあ皆さん、想いましょう。素敵な人に想いをはせましょう。想いでつながる友達がいれば老いることはないのですから。