【Vol.334】 リベンジなし

 最近、「リベンジ」という言葉をよく聞きます。リベンジとは復讐することや雪辱戦のことですが、調べてみますと、復讐とは仇(あだ・かたき)を返すことで仕返しのこと。雪辱とは恥をすすぐ(水で洗い清める、汚れを清める)という意味で、雪辱戦とは以前負けた相手に勝つことです。
 いずれも負けて悔しい想いや恥ずかしい想いを晴らすことなのでしょうが、どうも、そこのところが引っ掛かります。
 引っ掛かると言うのは私だけかもしれませんが、ゲームやスポーツのこと、まして事業のことで勝ったり負けたりしたときに、それが、そんなに悔しいことや恥ずかしいことであるのか、そこが引っ掛かるのです。
 私の場合、ゲーム(ほとんどやりませんが)やスポーツ(剣道をしていました)も、そして事業(これでも経営者です)をしてきた者として、リベンジということを考えたことは殆どありませんでした。ゲームもスポーツも事業も、元々、好きでやっていることなのですから、それで復讐とか雪辱戦ということを取り立てて意識することはなかったのです。
 正直、及ばなかったことに悔しい想いや恥ずかしいという想いはありました。しかし、リベンジするという発想には至らなかったのです。(もしもリベンジという言葉を使うなら、自分に対して「自己リベンジ」ということならあったのかもしれませんが)
 一生懸命に練習・稽古して臨んだ試合にたとえ負けたとして、それは誰のセイでもありません。勝ったとしても負けたとしても、それは自分の実力の結果。全てそれだけのことと、私は師に教えて頂きました。
 ですから、負けた時は復讐ではなく復習をして最善を尽くす。それが稽古ということですし、第一、負けることを恥ずかしいと思うのは、稽古に最善を尽くさなかったからで、そうした自分を恥ずかしいと思えとも教えられました。
 剣道では「下に学べ」という教えがあるくらいで、強い相手に負けるのは当たり前。ですから、当然そこに学ぶのも当たり前なのです。
 大人になって事業をする者として、その教えが役に立っています。自分もクライアントも事業を行い、それがすべて上手く行く訳はありません。
 時に、ライバルの商品やサービスが売れてこちらが売れない時もありますし、その逆もあります。でも、そんなときにいちいちリベンジを考えることはありません。

 一体、いつの頃からリベンジと言うようになったのでしょうか。そんなに、今の世の中はリベンジしなければいけないのでしょうか。
 政治の世界も、政権を取られた政党が、まるで与党を敵のように見立てて、政敵を倒す為なら何でもアリのあげ足取りや、重箱の隅をつつくようなあら捜しをするばかりです。
 国民の為と言いながら何でもかんでも反対するばかりで、一体、野党の目的は何なのか。きっとそれはリベンジということではないでしょうか。
 選挙に負けた復讐や、下野したことの雪辱戦に明け暮れるだけで、一体、何を学んだのでしょうか。

 さて、永田町の復讐合戦は無視して、せめて私たちはリベンジなんてやめましょう。まして、ゲームやスポーツの世界、その目的は楽しむためのものじゃありませんか。
 ゲームに負けてやれやれ。スポーツで敗れてさてさて。次はもっと楽しくすることを目的にしようではありませんか。

 皆さん、リベンジなしで参りましょうよ。