【Vol.318】ホッとする工場

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 ホッとするお店があります。なぜか、そこに居るだけで落ち着いて、心がゆったりとするのです。飲食店ばかりではなく、いつも買い物をする馴染みになったデパートや、お店ではありませんが、いつも使う駅も、帰ってくるとホッとします。この、ホッとするような感じのする工場があるのです。
 それが、新潟県は三条市の工具・道具メーカーМ社です。作っているのは、ペンチやニッパなど、物を掴んだり切ったり曲げたりする、手で握って使う道具です。
 工具や道具を作る設備は、先ず材料を加熱する炉から始まり、真っ赤に熱せられた材料を鍛造するエアーハンマーや焼鈍炉など、要するに、昔で言えば典型的な鍛冶屋さんです。
 工場に入りますと、ドン、ドン、ドンと腹の底に響くような大きな音にビックリします。私は好きな音ですが、初めての人は本当にビックリするでしょう。東京の大森や蒲田などのものづくり地域が急速に衰退したのも、この音が大きな要因でした。
 よく聞きますと、職人さんがドンドン、ドンと、一定の間隔でハンマーを操作しているのが分かります。イイ調子でこれを繰り返しているのです。
 1000℃を超すほど真っ赤に熱したワーク(加工中の製品)を上手に掴み、調子よく金型に数回置き換えて加工するのですが、一見、それは単純な作業です。でも、それがまさに職人技。置き換えるタイミングがほんの少しコンマ数秒でも変わると、その間に温度が数10℃低くなってしまい、使い物にならなくなるということです。そうして聞くと、本当にドンドン、ドンというリズムは一定で、何か心地よい感じさえします。
 熱処理が終わって粗加工したワークは、いよいよ手作業での仕上げ工程に入ります。職人さんが一つ一つのワークを、ヤスリで仕上げるのです。
 蛍光灯に拡散フィルムを張った照明の下で、刃の隙間を確認するのですが、刃先はピタッと合わせて、下の方は0.1ミリの間隔を開けると言うのですから、本当に凄い技です。
 このM社の製品は世界中で愛されていて、スイスの家具メーカーでは、使う道具の世界ナンバーワンとして認定したほど、評価されているそうです。

 特別、最新鋭の機械がある訳でもないし、測定装置も特別なものはありません。精度を出すのは全て職人の技。見た目はどこにもあるような工場なのに、製品は超一級品。何か不思議な安堵感を感じます。
 そうです、工場を見学してホッとしたのです。
 その、ホッとした理由は何でしょう。特別なことをしている訳ではないのに、何故かホッとする。その理由を考えました。

 いくつかあると思うのですが、先ず第一に感じたのは、日本のものづくりの原点を見たからでしょう。職人さんがしっかりとものづくりをしているのです。技術もベテランから若い人に伝承されていて、技術の承継をどうするのか、その心配が無いという安心感です。
 そして、次に感じたのは、セコセコしていない全体の雰囲気です。これは、あちこちの工場を見るうちに判るのですが、効率を徹底的に求めると、工場の雰囲気はピリピリします。逆に、効率が悪い工場はダラダラとして、だらしない感じがします。
 この工場は、よく見ると効率を上げるための工夫があちこちに見て取れます。しかし、ピリピリとした感じは微塵もありません。要するに、人が働きやすい環境を優先させ、そのうえで効率を上げる工夫をしているのです。職人さんが自分で使いやすい治具や工具を自分であつらえて使ていますし、女性のチカラでもできるように、機械や工程がバランスよく配置されているのです。
 そして何より、一人ひとりの職人さんや従業員の表情が穏やかなのです。何か問題がある工場の社員の表情というのは、どこかこわばっているものです。
 社風と言えば社風なのでしょう。しかし、穏やかな表情になるのは、焦らずとも、良い製品をつくれば、自ずとお客さんが評価してくれるし、価格競争もしないで済むという、その自負があるからではないでしょうか。

 今どき、このような工場が見れるとは。
工場見学をさせて頂き、このように嬉しくなるなんて、本当に有難いことです。皆さんも、機会があれば参りましょう。私も、何回でも行きたいと思います。

 だってそうでしょう。行けばホッとさせてくれるのですよ。