【Vol.314】いい客と言われたいお店

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 やっと気持ちが収まったので書くことにしました。東京に出て来ておよそ30年。その間、家族のイベントでお世話になっていたフレンチレストランが、この6月末で閉店したのです。
 当時は有名なレストランでした。ある大手家電メーカーが、お客様の接待の為にパリの本店からライセンスを受けて開業した、それこそ、誰もが知っている東京では随一のフレンチレストランでした。
 最初に行った時の事を覚えています。ドレスコードはどうか、フォーマルなのかカジュアルでいいのか、それはもう気を遣い、ドキドキしたものでした。
 支配人の方もソムリエも、それはもう品のよい方で、流石と言うしかないような立居振舞(たちいふるまい)でした。そして、支配人の方が、たまたま私の知人の友人だったこともあり、一層、親しみを覚えました。
 お客様も一流で、他のお席を見渡しますと、しばしば有名人を見かけることもあり、そのような人と同じお店に居ることに、嬉しい想いもありました。
 子供たちが大きくなった頃から、私たち家族は、誕生日だとか結婚記念日だとか、家族の記念日は必ずこの店に行くようになりました。これまで、そのような記念日に他のお店に行ったのはほんの一、二回しかありません。家族4人の誕生日と結婚記念日で年に五回。ずっと通い続けていたお店なのです。
 支配人もソムリエも、私たち家族を暖かく迎えてくれました。時に、特別なワインを出してくれたり、メニューにはないお料理をシェフに頼んでくれたり、支配人やソムリエのご家族の話だったり、それはもう、家族ぐるみのようなお付き合いでした。

 そのお店が、店じまいをすることになったというのです。十年くらい前でしょうか。オーナーの家電メーカーが、この店を放送事業者の子会社に売ったのですが、経営的には上手く行かなかったようです。
 大メーカーが、お取引先を接待するための高級レストランなら採算は度外視ですが、事業としての採算を求めるのは、最初から無理な話だったと、今は思うばかりです。

 閉店と聞き、初めて、私にとっての、お店の存在価値に気付きました。
 私は、いつも「いい客」と言われるようにしたい、そう在りたい、と言う気持ちで通っていたのです。
 いつもお店に行くときは、ある種の緊張感がありました。ドレスコードは勿論、他のお客さんもしっかりとしているのだから、こちらもしっかりしなければ、失礼の無いようにと、いつも身支度に気を遣い、お店の中での振る舞いにも気を遣いました。
 変な話かもしれません。こちらが客なのに、いい客と言われるように気を遣う。
 でも、それが私の誇りでもあり楽しみでした。
 大人になって、東京に住むようになって、このお店に行くようになって、何か、教わっているような気がしたのです。

 いい客と言われたくて通ったお店。その、銀座マキシムが閉店いたしました。