【vol.301】毎日が初日

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 今回のBP通信、お陰様で301話になります。年末から年初にかけて掲載されますので、新しい年を迎える私の心境を書きたいと思います。

 足かけ12年、自分でも、よくも続いていると思うのですが、ここまで、書くことが苦しいと思うことはありませんでした。それは、素晴らしい技術やノウハウ、卓越した知見などに、毎日と言っていいほど出会い、刺激を受けているからです。ああ、こんな凄いことがあるのだ、こんなやり方があるのだと、それはもう、毎日が刺激で一杯なのです。
 そう考えると、私にとっては、毎日が新しいことを知る出会いの始まり、言わば、初日と言えるのです。初日とは、大相撲の初日、入社初日と言うように、何かを始める最初の日のことを言うのですが、初日という言葉には、とても良い響きがあります。

 たまに、毎日が同じことの繰り返しなのでつまらない、と言う人に出会います。そのような人は、確かに、毎日まいにち同じことをしているようですが、全く同じことを毎日繰り返すことは在り得ません、と言うより、不可能ではないでしょうか。
 第一、例えば職場でのことを考えても全く同じことはありません。仕事の内容も前日とは多少は違うでしょうし、同僚の行動や話し方、内容も違えば服装も違います。つまり、前日と全く同じ筈はないのです。

 ですから、毎日が違うのが当たり前なのですが、
毎日が同じであると言うのは、何も見ようとしない、或いは気付かないだけで、
何かを発見しようという、自らの意志がないのではないでしょうか。
 毎日同じ職場に居ても、そこで何かを発見をしようと思えば、新しいことが見えて来る筈です。
 そしてそれが、新しいことの最初なら、それが初日なのです。
 考え方一つで毎日が初日なんて素晴らしいではありませんか。同じ職場でも同じ同僚でも上司でも、よく見ると、いつも新しくなっているのです。自分の気持ちを切り替えるだけで毎日が初日になるなんて、何か得をした気分です。

 歳の瀬のパーティーで、いいことを聞きました。主催者の来年もどうぞ宜しくというご挨拶でのお話です。それは、来年或いは新年のことを「明年・みょうねん」と言うと、それだけで明るい年、つまり、明るく良い年になると言うのです。明年は、確かに明るいのですから、良い年になるに決まっています。上手いことを言うものです。言い方一つで、こんなに明るく楽しい気分になるなんて、何か得をしたような気分でした。

 このように、普段何気なく使う言葉の中に、実は、深い意味があるようです。だとしたら、私は積極的に、このような意味を発見したいと思います。
 歳の瀬に書いているこのBP通信ですが、明年も、私は毎日が初日と思うだけで、また新しい発想でこのBP通信を書き続けることでしょう。目にすることや聞くこと全てが新しい、毎日が初日。いつまでも、この気持ちでいたいと思います。

 そうそう、家内とも、毎日が初対面と思うとドキドキしますよね。(笑)