【vol.283】無償のご縁

「只より高い物はない」と、よく言いますが、本当にそうでしょうか。最近、こんなことがありました。クライアント(A社とします)からのご相談、他のクライアント(B社)の技術で直ぐに解決出来ることが分りました。こんな時、当たり前ですが、そのB社をお引き合わせすることになりました。
 その時、B社は「こんな簡単な事ですから、お金を頂く訳にはいきません。だから只で結構です」と、言ってくれたのです。嬉しいことです。ところがこの時、A社は「只より…」と言ったのでした。

 それは、いつも「序のビジネス」とか、「友達のともだちは皆トモダチ」と言っている私にとって、クライアント同士が技術を持ち寄ったり補い合う事は当たり前ですから、この言い方にカチンと来ました。多分、A社にすれば、只にしてもらうのは心苦しいので、冗談(のつもり)で言ったのでしょうが、一般的には、只で何かをもらうと、代わりに物事を頼まれたりお礼に費用が掛かり、かえって高くつくという意味ですから、何も要求するつもりの無いB社に対して、それは大変失礼な話です。

 ですから、A社には丁寧にお話をして、クライアント同士が補う事の大切さと、その時に、お金の事を絡めなくて済むことならば、只で提供したり受け取る事は、何ら、ためらう必要はないし、むしろ、これがご縁となって、共同でビジネスが出来るかも知れないと申し上げたのです。

 この話、振り返ってみますと、以前、お互いに出来ることは何の対価も求めずに、先ずはやってみよう、そんな雰囲気が当たり前でした。向こう三軒両隣りと言って、自分の家の向かい側三軒と左右の二軒は親しくするのが当たり前、そのような気風で、会社同士が付き合ったものでした。

 一体、いつの頃からでしょうか、そんな気風が失せてしまい、何をするのも見積もり合わせ。どうせなら知り合いから買えばよいのに、あたり構わず相見積を取りまくって、知り合いだろうがなんだろうが、一円でも高いところから買うわけには行かない、そんな世知辛いビジネスが当たり前になってしまいました。 安物買いの銭失いと言いますが、私に言わせてもらえば、それは「安物買いの信頼失い」で、場合によっては、せっかくのビジネスチャンスを失う事にもなるのです。

 しかし、相見積に慣れてしまった今の時代、このような場合に迷うこともあるのは仕方ありません。ですから、こう考えるのはどうでしょうか。それは、お金の事とご縁の事を分けて考えるのです。

 今回の場合も、そう考えれば分かります。もともとA社とB社は、私という、其々の事情を知っている者がお引き合わせをした事。これは、私を通じてのご縁の話ですから、お金の事ではありません。もしも、お金の事なら、最初から安いところを探せばよい事で、わざわざお引き合わせをすることはありません。

 こうして考えますと、ご縁というのは、最初からお金は無償なのでありまして、ご縁を大切にしようと考えれば、無償・只は当たり前。むしろ、お金の事を言うのであれば、最初からご縁は不要であるとの意思表示である、そう考えてもいい事です。

 私事ではありますが、こうやって今まで何とか仕事をさせて頂けるのも、全てはご縁。ご紹介や講演がきっかけでお会いする機会を頂き、その後、その会社にご訪問したり来てくださったり、お互いをよく知ってからご契約を頂くようになるのです。その際、最初にお金を頂くことはありませんし、考えたこともありません。最初は只が当たり前、それを42年間続けているのです。

 如何でしょうか、無償のご縁。これが、実は、本当のご縁なんですよ。そして、無償のご縁の一番素敵なカタチ、それが「愛」なのですよ。分かりますかなぁ、ふふふ…。