【Vol.272】データ壊滅

 最近、生まれて初めての出来事がありました。旅行に携行したパソコンが壊れて、今までのデータがそっくり失われてしまったのです。あんなに落ち込んだのは、本当に生まれて初めてです。滅多なことではメゲない私なのに、本当に落ち込みました。

 休日に自宅で作った三つの原稿を、旅先から送信しようと旅行鞄に入れて持参したのですが、振動か何かの拍子で、ハードデスクが壊れてしまったのでした。嫌な予感と言いましょうか、出掛けに、送信しようかしまいか迷った挙句、ほんの少しの時間を惜しんだ為に携行し、結果、すべてのデータが失われてしまったのです。

 最初は、修理に出せば直ってくる。そのように高を括っていたのですが、修復できないと知るや、目の前が真っ暗になるくらいに落ち込んでしまいました。まさに、悔やんでも悔やみ切れないとはこの事です。およそ10年余にわたる、このBP通信の元原稿270本も失いました。その他にも、雑誌に連載していた幾つもの元原稿や、多くのメールや私信の原稿がすべて失われてしまったです。

 会社のサーバーに残っているのではないか、あるいは、そもそも掲載された雑誌があるではないかと慰められましたが、最初の、もとの元、誰の手も入っていない校正前の元原稿を失くした気持ち、大袈裟に言えば、私の過去を失ったような気持ちになりました。

 それが、落ち込んでから三日目の朝でした。起床して、フッと思い付いたのです。確かに、原稿や過去の記録は失われたが、私のアイデアの根源を失ったわけではない。例えて言えば、一時、溜めていた水は失ったけれど、その水が湧き出る泉を失った訳ではない、そう気付いたのです。そう気付いた途端、あれだけ落ち込んでいたのが嘘のように、すうっと気が楽になり、変な言い方ですが、以前にも増して元気になってしまったのです。

 変でしょう、以前に増して元気になるなんて。そうなんです、ここが肝心なのですが、データを失った私は、それが宝物だと思っていたのに違いありません。これも水に例えれば、いつも日常的に使っている水なのに、たまたま使わずに溜めていただけの水なのに、宝物だと錯覚し、それを流失して嘆いていたのと同じことです。

 次から次に水が湧き出る泉の有ることを忘れ、使いもしない水を失ったことを嘆いていたのだと分かったら、何も落ち込む理由はありません。必要なら、また溜めればいいのですし、例えそれを再度失っても平気です。湧き出る泉がある、そう気付いたら、かえって元気が出たのです。

 今回の事件、私は大切なことを学びました。後生大事に溜めていた元原稿、実は、新しい原稿を書く前に、いつも読み返していました。以前と同じようなことを書いたらいけない、そう考えてのことですが、これを言い換えれば、過去の原稿に拘束されていたということです。本当は、今この時に書くべきことがあれば、例え、過去に同じようなテーマがあったとしても書くべきなのに書かない、そのようなことが少なからずありました。

 データが失われた時、あれだけ落ち込んだのは、私が過去の原稿にすがっていた証拠です。無意識のうちに過去を振り返り、過去の“遺産”に、私は縛られていたのです。

 さて、それは分かったが、それにしても、お前の原稿なんて、そもそも箸にも棒にもかからないから、縛られる訳はないって? う~ん確かに、それはそうかもしれませんが、それを言っては身も蓋もありません。とほほ…。