【Vol.271】就職先は社会

 最近、ビジネス・ピロデューサー養成講座のOB生の娘さんをインターンでお預かりする機会がありました。OBの方は、ある企業の部長さんで、海外赴任が長く、ご家族も一緒に行かれたそうで、この娘さんも欧米と中国の日本人学校で学び、英語と中国語が得意な才媛です。

  帰国して、帰国子女を積極的に受け入れる大学の三年生になり、さあこれから就活というところで、私のところに来れば、企業の実態や本質が見えるのではないかということになったという訳ですが、このお話、私も大いに納得いたしました。だって、私のクライアントを見学すれば、どのような会社がいいか、サッと判るに違いありません。

  その様な事情でインターンが始まったのですが、ある時、こんな話になりました。何でも、今どきの就活に勤しむ学生は、会社の業績が良いところに当たりをつけて、その会社に採用されるように、色々なトレーニングをするのだそうです。

  そのために、実に様々な塾があるそうで、面接に強くなる塾、話し方塾、性格を良く見せる塾、果ては採用確実なお化粧を学ぶ塾まで、まあ、よくもそこまで考えるものと、こちらが感心するくらいの塾があるようです。

  で、この娘さんは、その様な塾に行く同級生を横目に、何か違和感を覚えるのだとか。要は、そこまでして、もっと言えば、そんなことまでして気に入られるようにしなければいけないのか、そのあたりに疑問を持っているというのです。

  実は、私は今まで会社に就職をしようとか、どこかの会社に入社したいと思ったことなどありませんから、就職について考えたことはなかったのですが、この娘さんの、「素朴な疑問」はよく分かります。多分、良い会社に入るために自分を合わせることがいいのかどうか、それで人生が決まってしまうのかという、そんな疑問ではないでしょうか。

  そこで私が考えたのは、学生が就職したいのは会社なのでしょうが、本当に就職する先は「社会」であって、会社ではないと思ったのです。

  いやいや、お前は就職したことがないから、そんな気楽なことをいうのだろうが、今どきの学生は必死になって就職先を探している。第一、良い会社に入らなければ、その学生の人生は悲惨なことになる、そう仰るかもしれません。しかし、私の経験を申し上げますと、自らの個性ややりたいことを曲げて、ただの外見的な良い会社に入った人が、楽しそうに仕事をしているのを見たことがありません。良い会社に入社するためにトレーニングして入ったものの、可もなく不可もなく過ごしているだけのサラリー(ウー)マン人生、一体、何が楽しいのかと思うくらいに、つまらなそうに働いているのです。確かに、業績が良い会社ならば、経済的なことで苦労はないのかもしれませんが、ただ、給料をもらえばそれでいいということではないでしょう。人生とは、給料を貰えばそれでいいのだと、もしも言うのなら、それは悲しいことではないでしょうか。

  申し上げたいのは、学生諸君がこれから就職する先は、(良い)会社ではなく、実に色々な経験をさせてくれる(現実的な)社会であるのです。そして会社とは、その社会の中に存在する一つの組織で、しかも、いずれの会社も未来永劫、ずっと良い会社などはあり得ないのです。

  いかがでしょうか、会社ではなく、社会に就職しようと考えれば、まず第一に、どんな社会人になりたいか、つまり、本当に自分がやりたいことは何か、それを考えるようになるはずです。言わば、社会という大海原に出るとき、どこの方向に行ったらよいか、そして、そのために乗る船は何が良いのか、あるいは、船など選ばずに、自分で作るとか、ツワモノは自分の力だけで泳ぎ出すのかもしれません。

  こんな話に、この娘さん、目がキラキラとしたのです。私も嬉しくなりました。きっと、彼女の人生は楽しいものになるでしょう。

  少なくとも、しっかりとした社会人にはなれますよね。