【Vol.248】行方不明

 東北関東大震災の余震が未だ収まらない状況の中で、敢えて、書こうと思います。行方不明の人を案ずることが、これほど辛く悔しいなんて、生まれて初めて知ったからです。

 ビジネス・プロデューサー養成講座をはじめ、東北地域では講演やセミナー、公開コンサル、相談会など、これまでに、本当に多くのご縁を頂いてまいりました。それは、単に仕事として、お付き合いをするのではなく、心底、腹を割って本音を語り合う、親友、あるいは戦友と言ってもいいくらいのお付き合い、それが東北の方々とのご縁です。

 その友達がいる東北地域を襲った大地震。東京にいた私は、激しく揺れる中、事務所の本棚を押さえながら、東北方面が震源ならば大きな被害が出るぞ、などと素人判断をしたものでした。それが、まさに的中してしまい、予想をはるかに超える、我が国最大の地震であったというわけです。さらに、発災の二日前に仙台に居た時の地震、今考えれば、前兆地震だったということですが、その際にも、予想される宮城県沖大地震に繋がらなければいいですね、などと軽口を言ってしまったものでした。

 ああ、言うだけ言いっ放して、安全な東京に戻って来た私は、そこに住んで居られる皆さんに、一体、何と申し上げたらよいのでしょうか。口は災いのもととは言いますが、こんなことが現実になるなんて、本当に、本当に思いもよらぬことでした。
 そして、言わなければよかった、思っていても黙っていればこんな事にはならなかったかもしれない、そんな、後悔の念を拭うように、ツイッターで安否を確認したい旨の書き込みを始めたのです。
 その時の気持ち、何と申し上げていいのでしょう、情けなく、そして、悔しくて悔しくてたまらないのです。
 はじめのうちは、何も応答がありません。そして、最初の情報が、行方不明、だったのです。当たり前ですが、行方が分からないという事が分かる、それが、行方不明ということです。案ずる事しかできない自分に対する最初の情報が、行方不明、なのでした。
 私、約60年も生きて来て、今まで、友人や知人に、行方不明、という人はいませんでした。突然、行方不明になってしまった人、いなかったのです。

 初めての経験です。行方不明者を案ずることが、こんなに辛く、そして悔しいなんて、本当に、今まで経験した事はありませんでした。
 何もできない自分、テレビを見ると、信じられない光景が映っています。が、そのほとんどが、知っている風景、街並みなのです。ああ、あそこにどんな建物があった、そこに誰が居る、その街が流されて行く光景が、目の前に繰り広げられています。
 家が、建物が、クルマやトラックが、瓦礫の山が、ザザーと不気味な音とともに流されて行きます。そこに人影が見えないのは、あえて編集したのでしょうか、見えないと、余計に不気味さが募ります。
 繰り返し繰り返し流されるそのような映像は、私にとって、何もできない無力さの証拠を突き付けられているように感じます。

 それは、まさに行方不明になる現場の映像でもありました。人影は見えませんが、確実に、行方不明者が出ている、その現場なのです。ああ、そこに友達はいないだろうか、あの瓦礫の下に知人がいないだろうか、祈るばかりでした。

 どんな情報でもいい、何でもいいからと願いながら、消息情報サイトやツイッターに書き込むことしかできない自分、辛く悔しい思いは募るばかりでした。

 …日が替わり、震災から3日目です。情報が入るようになりました。知り合いが見た、張り紙に名前があった、サイトに元気と書いてあったと、一人、また一人と消息が明らかになっているのです。
 ああ、生きていてくれた! これほど嬉しい想いも初めての経験です。行方不明者の、それも親しい人の消息が分るという嬉しさは、生まれて初めての経験なのです。

 4日目の現在、未だ行方不明の友達は二人。唯々、無事を祈るばかりです。
 よろしければ皆さんも、祈って頂ければ幸いです。