【Vol.246】都力

 最近、新聞で東京都の都市GDPは世界一という記事を読みました。国としてのGDP(国内総生産)が中国に抜かれ、いよいよ三位に転落するというのが頭にこびりついていた私にとって、まさに目からウロコ、あっそうか、一つの都市当たり総生産という、ものの見方もあるものだと、感心した次第です。

 ここで、国としての国民総生産が落ちているのに、都市に目を向けて、それこそ本質から目を逸らせているのではないか、そのようなご意見もあるかもしれません。しかし、よくよく考えてみると、そもそもGDPというものは、国全体の総生産を計上して比較しているのですから、人口がべらぼうに多い国や、国土や資源に恵まれている国のGDPが大きくなるのは当然で、ある意味、それでは不公平感があるように思います。

 いつから、そのような比較をすることになったのかは知りませんが、私の言いたいことは、本当にその国のチカラを比較するひとつの目安としては、一つの都市当たりのGDPを見た方が、実体的ではないか、そう感じたのです。
 よく、暮らしやすい、あるいは住みやすい都市の上位に東京が出てくるのは知っていましたが、都市当たりGDPが世界一と知り、そうか、東京というのは生産性も高く、便利なうえに効率もよい、先進的な都市なのだと、理解できたのです。

 言うまでもなく、国家としてのGDPも大切でしょうが、どこかの大国のように、地方で毎日のように暴動が起こり、貧富の差がとんでもなく大きい国や、日本の何十倍もの国土や埋蔵資源を持つ国と、我が国のGDPが同列に扱われること自体、何か、違和感を感じるのは私だけでしょうか。
 逆に、東京を筆頭に、大阪や名古屋、札幌、福岡、仙台、広島など、我が国の中核都市のそれを見ると、押し並べて諸外国とは比較にならないほど、GDPが上位に来ることが分かります。つまり、私たちの日本という国は、ちゃんとした都市が相当数ある、それが特徴であるとも、言えるのではないでしょうか。
 第二次大戦後、戦勝国と敗戦国、そして南北間の軋轢が高まる中で、国家の覇権を争う指標として、このGDPは大変分かりやすく、国家間のチカラを表す数字ではありましたが、国民の生活や文化の程度を現す“国民のチカラ(民度)”という尺度で考えるなら、この都市当たりGDPの方が、より実体的ではありませんか。

 もうそろそろ、国のチカラを示す国内総生産としてのGDPを云々するよりも、人々の生活に近いところにある、都市GDPを見ることの方が大切ではないかと思うのです。
 そう考えると、暴動が毎日のように起こったり、貧困層が都市部に押し掛けるようなことが無い日本という国、やはり世界一良い国といえるのかもしれません。
確かに、政治の混乱や期待が外れた喪失感はありますが、何より、私たちが住む都市には、まだまだチカラがあるのです。
地方から国を変えようという方々が増えてはいますが、しばらく、国を変えようなどとは考えずに、もっと都市を良くした方が、結果、国を良くする近道ではないかと思った次第です。

 如何でしょうか皆さん、これからは都力(トジカラ)が大事なのです。