【Vol.228】壊す時は早い

 ついこの間まで建っていたビルがアッと言う間に解体され、跡形も無くなくなってしまい、さて、どんなビルだったろう、そんな思いをしたことはありませんか。
解体作業が始まると、ビルは高い塀で囲われ、ネットで覆い隠されてしまうのですが、それらが外れた時にはもう更地、はて、そこに何があったのか思い出せなんて、なにか不思議な感じがするくらいです。

  
  このように、ビルの解体とは、ものすごい速さで進むのですが、本当に物理的に早いのか、或いは感覚によって早く感じるのか、そこには、教訓のようなものがあるように思います。

  大体、ビルや建造物の解体が、なぜ行われるかと言えば、とにかく、建物そのものが不要になった、それしかありません。老朽化したり、いやなこと(火事を出したとか、事件があったとか)、或いは、もっと稼ぐビルにしたいとか、要するに、いらないのです。さらに、出来るだけ早く解体しなければ次に進めないので、とにかく早く解体して更地にするのが肝心です。
しかし、解体する理由と、それがなぜ早く行われるか、そこまでは分かるのですが、いつも見ていた私達が、そこに何があったのか分からなくなってしまう、その理由が、分かりません。私達は、解体されるビルの以前の姿を、なぜ、こうも簡単に忘れてしまうのでしょうか。

  以前、復旧の活気というテーマで、災害や不況のドン底から立ち直る時の活気について書いたことがありました。何かが破壊された後、それを立て直して行くときには、破壊されてしまったこと自体を積極的に受け取め、復興後を期待する心情があるのではないかと書きました。同じように、ビルの解体も、さあ、早く壊して新しいきれいなビルを建てようという、ワクワク感があるのではないでしょうか。

  
  これ、あくまで仮説ですが、無意識のうちに、解体することに対する、ある種の賛同と言いましょうか、共感と言いましょうか、とにかく早くやれ、といった本能的な好意的感情があると言っては大袈裟でしょうか。さらに、早く新しいもの(ビルや建設物、或いは公園)を見たいという欲求が強くなるあまり、古い記憶を消してしまう、そんな自動メモリー消去機能が、私達の心の中にプログラムされているとしたら、凄いことだと思いませんか。以前にあったビルの姿を、無意識のうちに消し去る心情は、誰にもあるプラス志向の本能かもしれないのです。

 
  そう言えば、辛いことや苦しかった時の記憶は、新しい何かが始まるとスーッと消えてしまうことがあります。きっと神様は、不要なものは早く壊して消して無くしてしまい、次の事を考えなさい、そのように、私達の心に刷り込んだのかもしれません。

 だから、夫婦仲が一旦悪くなると、あっという間に破綻するのだ、ですって? 
 知りませんよ、そんなこと。私達は絶対にそうなりませんからね。へへへ~だ。