【Vol.224】町の名前が鋳物町

 全国を回っていますと、町の名前に、業種や技術の名称がついている所が、わずかながら残っているのに気が付きます。
 例えば、鋳物町(鋳物師町というところもあります)。そうです、鋳物師が集まっていたのでしょう、今風に言えば鋳物メーカーの工業団地みたいなことでしょう。
 勿論、当時のことですから事業規模も小さくて、数人から数十人の従業員が働く工場(工房)が、軒を並べていた町なのです。

 一体、いつ頃からそのような町の名前が消えたのかは定かではありませんが、間違いないのは、近年になって自治体や行政が進めた、新しい住居表示制度ではないでしょうか。思い出すと、鍛治町(かじまち)、仏具屋町(ぶつぐやちょう)、指物屋町(さしものやちょう)、懐かしい町名がいつの間にか消えていったのです。

 考えてみれば、その懐かしい町名は、単に町名として存在していたのではなく、ちゃんと、そこに競争力のある技術があって、産業が成り立っていたということです。
 鋳物町はキューポラ(溶銑炉、鋳鉄を溶融する炉)が林立し、黒い煙がモクモクと、今なら排ガス規制でモメそうですが、それはそれは活気があったに違いありません。
 鍛治町は、今で言う金属加工、或いは金属製品メーカーが集まっていた所です。あちこちで、鋼(はがね)を鍛える槌音(つちおと)が、テンポ良く響きわたっていたのでしょう。仏具屋町は、仏具メーカー、指物屋町は木工製品メーカーです。
 町の人たちは、殆ど職人ですから、多分、口下手ですがお人よし、しかも心意気に感じる一本気、決めたらトコトンやるタイプの、さぞや愉快なご近所付合いだったと思うのです。それが、いつの間にか町名と共に職人も散り散りになってしまい、やがてその産業も消えて無くなり、ご近所付合いは勿論のこと、隣は何をする人ぞ、軒を接していても無関心、そんなご時世になってしまいました。

 何故そうなったのか、理由は明白、中国をはじめとする、新興勢力によるコスト競争に負けた、そう断じるのは簡単です。でも、そう決めてしまうのは如何なものでしょう。かつてそこに栄えた、産業の名残までも消し去った、そうも言えるほど、歴史に縁切りするかのように町名を変えてしまったこと、そこに問題は無かったのか、そう思うのです。
 新しく開発した新興住宅地の町名、確かにシャレた町名にしたのはいいのですが、その昔、人も通えなかったような里山を切り開いて、その町名には何の縁もゆかりも無いのに(悪く言っているのではありませんよ)光陽台や光が丘、希望が丘、等など、突然、シャレた町名になる、挙げればキリがありません。そのようにして、かつての鋳物町が○○一丁目になってしまう。結果として、そこにあった産業と、職人達の偉業の歴史も、町名と共に消し去ることになってしまったのではないでしょうか。

 確かに、中国をはじめとする新興国に、コスト競争で負け、最近では技術力でも負けそうになっているのは分かります。しかし、そのように負けるのは、大量生産、大量消費といった経済構造の中で負けているだけで、決して、私達の感性や技術、もっと言えば文化が負けた訳ではありません。
 地域に根差した、その地域固有の産業を基にした町名を、ただ便利だから、管理しやすいからと言って、何の根拠も無い、シャレた名前にしてしまったことを教訓として、もう一度、考え直そうではありませんか。なにも、郊外に工業団地を造成して工場を誘致することや、大規模商業施設をつくるだけが地域の産業振興ではありません。小さくても、地域に根差した開発魂溢れる産業を、私達が暮らす町の中に、生活と同居するように興すことが、この国を元気にする、一つの方法ではないでしょうか。

 ところで、システム・インテグレーション株式外社なんていう社名こそ、伝統を無視するような社名じゃないかって? う~ん、そう言われると返す言葉がありません。しかし、日本語にすると、”統合”株式会社ですよ。ね、変でしょう。だから、ご勘弁を…。
 全~然、言い訳になっていませんがね。ははは。