【Vol.206】官を腐して何になる

 もう、書かずにはいられません。やはりこの国の政治はおかしい、と言うより機能停止状態になってしまったのではないかと心配です。天下国家を論じることはなど皆無、政治家は全ての責任は官僚にあるかのように、官タタキを繰り返す国会の議論。一体、そんなに官僚を腐して何になるのでしょうか。

 ある政治家(衆議院議員です)が、「霞ヶ関から政治を取り戻す!」と息巻いていたのをテレビで見て、それじゃあ、あなたは今まで何をしていたのか、政治(のイニシアティブを)を取られたとして、渡したのは誰だと、テレビに向かって吠えたのは私だけでしょうか。政治家自身が自らの不甲斐なさを認め、反省し、その上で立て直そうと言うのなら分かります。なのに唯々、官僚を腐す。大体、三権分立の我が国で、行政官に政治ができる訳もなく、政治家が作った法律に則り、粛々と官としての勤めを果たす、その仕組みは誰が見たって明確でしょうが。
 いつから、この国の政治家は官僚を敵対視し、腐し、あげつらい、悪いところばかりを抽出するようになったのでしょうか。何かあれば官僚のせいにする政治家の意図はどこにあるのでしょうか。天下りがどうの、渡りがどうの、いつも同じことの繰り返し、自らの手詰まりを隠すようにしているとしか見えません。本当にダメ(官僚が悪いのなら)なら、さっさと法律を変えて、良くすればいいだけの話です。できない理由をツラツラ並べるのは聞き飽きましたが、終いには官僚の圧力があるからできないなんて、そりゃあないでしょう。自らの不明を隠す為の言い訳、もう呆れてものが言えません。これでは政治家が官僚の下請けで、政治家としてやるべきことを放棄したと、自分で言っているようなものです。

 好きな国ではありませんが、アメリカ大統領の就任式を見たとき、多くの我が国の国民は好感を抱いたのは何故でしょう。多分、米国国民が一致団結しようとする、そのパワーを感じたからに違いません。振り返って、永田町(政治家がいるところ。国会もあります)にそんなパワーがあるはずもなく、国会では「○○反対」のオンパレード。「○○賛成、○○頑張れ」という前向きな声は微塵もありません。世界中が、我が国が、これほど困難な時代に政治家が官僚を腐しているだけの国会論議。多くの国民はそれを見るにつけ、心の中では「もう、いい加減にしてみんなで頑張ってくれ」と願っている筈です。
 国を家族とみれば、外に出て稼ぎ、頑張るのがお父さん。それが政治家だとすれば、家を守り、家計をやりくりしながら家族の日々の生活を支えているお母さんは官僚です。そのお母さんを、会社(国際社会)ではうだつが上がらず、ろくな稼ぎもない父親が、唯々母親をなじるだけ。そんな両親見ている子供たち(国民)は、もうたまったものではありません。

 如何でしょうか皆さん。もう内輪でケンカするのは止めましょうよ。今大事なのは、どうやってこの困難を乗り越えるか、その一点です。いつも言うように、所詮この世は産学官。政治家にチカラがないのですから、今こそ、官僚の力を十二分に使うしかありません。なのに、その官僚が持てるチカラを発揮できないのでは、本当にこの国は滅びます。
 酔っ払って恥を晒した大臣について、なぜどうしてそうなったか、理由を探してもやってしまったことの修復は不可能です。恥さらしな大臣の肩を持つ気は到底ありませんが、もう、時間は戻りません。今、一番大切なことは、国家の団結力です。政治家も官僚も国民も、全てが同じ方向を定めて頑張る。その団結力と集中力ではないのでしょうか。

 ところで、私の家族はどうかって? そりゃあ大丈夫ですよ。だって、我が家の官僚は凄く優秀ですから、任せておけば安心です。
 それに、内緒ですが、逆らったら大変、私の首なんて直ぐに飛んでしまいますよ。とほほ…。