【Vol.187】キレイに頑張る原動力

 最近、邦画が元気です。やはり、名作が多くなったからでしょうか。夫婦(どちらかが50歳以上)だと一人1000円ですから、気軽に映画館に通えるようになったこともあり、結構観ています。

 好きなのは「三丁目の夕日」です。話題にもなりましたが、私たちも一部二部と観てしまいました。映画の舞台は昭和30年代、東京の下町、東京タワーが見える街角です。狭い路地を挟んでの人間模様、笑いあり、涙あり、感動あり、当時の庶民生活をイキイキと描いた傑作です。戦敗国日本が復興を遂げて行く様を忠実に再現したドラマは、高度経済成長期に向かう社会の勃興勢力と、それに乗り遅れそうになってあせる人、無関係な庶民など、下町の街角で繰り広げる人間模様は、まるで人生の寄せ鍋みたいです。映画は、お隣同士の人間関係、出稼ぎや集団就職で上京して来た人への思いやりや偏見、賑やかでイキイキとした生活を描写しながら、社会が持つ問題点や課題をさりげなく描写していて、私も大いに感じるところがありました。

 映画を観て感じたこと、それは、「キレイに頑張る原動力」です。若い時には気にも留めなかったことですが、どういうチカラが働いて、あのような活力が生まれたのかが気になったのです。さして豊かには見えない登場人物が、精神的にはとても豊かで、活力に溢れ、イキイキとしているのはなぜか。その原動力は何なのか、そこにとても興味が湧いてきたのです。近所のおじさんやおばさん、近所のお兄ちゃんやお姉ちゃん、お年寄り、彼らの暗い感じのしないキレイなバイタリティーの源は、一体、何だったのでしょう。
 多分、その答えは簡単で、失ったものを取り戻そうという一念がそうさせる、というものでしょう。それは、間違いありません。でも、私が気になったのは、キレイに頑張れたそのもっとも本質的なワケ(理由)は何かということです。目がギラギラ、他人を押しのけるような態度、それはキレイだとは言えません。がむしゃらに金儲けをするとき、キレイに頑張っているようには見えない筈で、この映画で感じたキレイなワケは、お金や物の為ではないことは確かです。

 キレイに頑張るワケ、私は「創造力」と考えました。焦土と化した我が国は、文字通りの無い無い尽くし、全てが失われ、復興はゼロからの出発でした。以前、創造の「創」の字は破壊的な行為も含まれるもので、何も無いところから生み出すもの、と書いたことがあります。それが現実となった当時の日本。何もかも失い、文字通りゼロから創造するしかなかったのです。何も無い、ゼロから創り上げる充実感。それが、キレイに頑張るワケではないかと思うのです。
 ひるがえって現代。私たちの周りにはモノや情報が溢れ、なに不自由のない社会です。開発もシステムやツールが整備され、ともすれば、組み合わせで商品が出来上がります。確かに、便利にはなりました。しかし、清々しい充実感は逆に希薄になってしまったような気がします。

 キレイに頑張っている人達の映画を観て、創造力の本質を再認識することになりました。
 キレイに頑張るとき、開発はすうーっと進むのです。