本当に嬉しそうなお顔でした。「品質・コスト・納期から解放されたんです」とおっしゃるTさんは、自動車部品メーカーの重役さんです。退職することになり、私としては、「お疲れ様」のご挨拶をしようとお会いしました。
自動車部品メーカーの使命は品質・コスト・納期と言ってもよいくらいで、当事者のTさんは、それこそ気の休まる日は無かったのでしょう、退職してから打ち込もうという趣味の世界のお話になった時、満面の笑みでそう言われたのでした。
ご承知のように、わが国の自動車メーカーが、世界一にもなろうとしている背景には、このような協力部品メーカーの下支えの努力がありました。自動車メーカーの要求は、ひたすら品質・コスト・納期です。確かに、それは大事なことで、競争を勝ち抜くためには、そのいずれも譲る訳にはいきません。しかし、その大事を守るために、どれだけの(大げさに言えば)Tさんのような方々のご苦労があったのか、改めて考えてしまいました。
苦労とは、単に部品メーカー企業としての負担や労苦を指しているのではありません。私が言いたいのは、Tさんのように生真面目で律儀な方々の精神的なご苦労です。
企業は、利益を追求するのが目的ですから、どんなに苦労があっても、継続している間はハッピーであると言えましょう。しかし、入社以来、神経をすり減らし続けたTさんのような方々に対して、退職後、ものづくりの経験を生かした「次の活躍の場」は、殆ど無いのが現状です。
品質・コスト・納期という重圧に耐え、文字通り身もココロも捧げ続けた挙句、多くの方が、ひっそりと現役から退くだけではあまりにも淋しいと思うのです。幸い、Tさんは趣味をお持ちで、これからは現役時代には出来なかったことを思う存分やると張り切っていますが、それはむしろ特別なケースで、大多数の方々が退職後、せみの抜け殻のようになってしまうのではないかと思うと残念でなりませんし、第一、もったいないではありませんか。
Tさんの素晴らしい笑顔は、現役時代が如何に辛かったかという裏返しです。私は、わが国のものづくりを支えた方々に報いる為にも、そのような方々の為の「ご苦労様を言う場」と、「経験を生かす第二の職場」が必要であると痛感いたしました。具体的に何が必要なのか、大いに議論しなければいけませんが、いずれにしても品質・コスト・納期を問わない、特に、コストを気にしないものづくりの場を提供することが肝心です。
ベテラン技術者が、現役時代とは違って伸び伸びとしたものづくりをした時、案外、それが新しい産業になるのかもしれません。
それにしても、Tさん、本当に長い間お疲れ様でした。有難うございました。