【Vol.148】なじみの顔

 最近、土曜日や日曜日に仕事の無い時は家内と散歩をしています。長い距離でも7~8キロでしょうか、家を出て皇居のお堀をぐるっと回り、丸の内界隈でブランチ、手軽な散歩です。
続けているとお気に入りのお店ができまして、サンドイッチとスープが美味しいお店に通うようになりました。美味しいのと、店員さんがいいのです。年のころは30歳くらいでしょうか、男性なんですがとても物腰が優しく、でも嫌味の無い好青年です。家内に言わせれば、私と同じで少々御髪(おぐし)の少ないところが良いと、変な共通点も気に入っています。

 そのお店に彼の姿が見えなくなりました。何回か行ったのですが、どうも転職したようです。後任といいましょうか、次の人は毛も多いし(本当は関係ないのですが)、どうも私たち夫婦とは気が合いません(こちらの勝手な思いで悪いのですが)。馴染めないのです。
段々、それまで散歩の時は必ずといってよいほど通っていたのに、最近は同じようなサンドイッチとスープのあるお店を見つけ、彼方此方と適当に、そうです浮気をしているのです。

 どこのサンドイッチもスープも、実は同じようなものだと気付き、では何故、あのお店だけに通ったのか家内と話しました。サンドイッチとスープに惹かれた訳ではありません。そもそも、サンドイッチやスープの味が、そこだけ劇的に美味しい訳はありません。
通った理由はシンプルで、要は、彼と馴染みになったから、というのが結論です。「馴染み」。今まで深く考えたことはありません。でも、今回のことで案外重要なことだ気付きました。だって、逆の立場だったら顧客を失うことなのですから。

 馴染の意味は言うまでもなく、なれ親しむことです。夫婦の場合は長年連れ添うことで、そうでない場合も、例えば同じ遊女のもとに通いなれた客のことも馴染みというのです。因みに、三度目以降の客をいうそうです(そうだったのか)。三度どころではありません、私たちは相当に濃い馴染みの客だったのです。それも、彼と馴染みになっていた訳で、別にお店のサンドイッチやスープと馴染んでいたのではないのです。

 ハッと気付きました。私たちが何気なく使う「馴染みの店に行く」や「お馴染みだから…」は、実は人が重要なのです。お店の雰囲気も味も大切なんですが、実はそこに居る人が最も重要だという事実。馴染みの顔…。こんな簡単なことですが、逆にこんな簡単なことで客が離れていく。彼は、とても大切なことを教えてくれました。

 さて、もうそろそろ新しい馴染みのお店が必要です。心地よい散歩の疲れを癒すお店です。どなたか教えていただけませんか。
 エッ、髪の毛の具合はどうかって? 
 ははは、勿論、薄いほうが良いに決まっていますよネ。