【Vol.124】『古民家』考

 最近、古民家を修復・復活させて飲食店にしたり、お洒落な結婚式場にすることが流行っています。流行っていると言うより、定着してきたと言った方が良いかも知れません。で、何故、今になって「古民家」なのか考えてみたのです。
 古民家を修復してエスニックレストランにして、大いに有名になった東京のお店に行きました。満鉄総裁の屋敷だったその古民家は、敷地三千坪、建坪七百五十坪の大邸宅です。昔は玄関で靴を脱いで上がった廊下に、今は土足のまま上がれるようになっています。じゅうたんを踏んで歩いて行くうちに、すっかり日本の住宅であることを忘れてしまいます。広大なお庭にかがり火が焚かれ、風景は純和風なのに、何故か、日本とは違う外国にいるような、まるで別世界にいる感じです。しかし、違和感があるのではなく、妙に居心地が良く、心が穏やかになるのは何故でしょう。しばらく身を置くうちに、ふっと気付いた事がありました。それは、そこに流れる「時間」を感じて、私は安心しているということです。

 時間。その空間にずうっと流れて来たもの。私はその時間の流れを感じて、その中に身を置いて、一言では表現できない、言わば「平安」を感じたのです。今までずうっと無事だったこのお屋敷。色々な事があったのでしょうが、今は何事も無かったように安穏としているお屋敷。多分、その平安無事であることに、私は感動し、嬉しく思い、安心しているのでしょう。そして、これも多分、これからもそうであることに違いないと思って、将来の平安を感じて、私は、嬉しくなっているのだと思うのです。過去から現在までの時間と、少なくとも同じかそれ以上の時間も大丈夫だと思う安心感。実は私達は、世知辛いこの世の中のに、今でも残っている古民家に、そのような不変の平安を期待し、或いは希望を託しているのではないのでしょうか。

 あちこち旅をしていると、そのような古民家がまだまだ多くあることが分かります。荒れている古民家もありますし、精一杯のお手入れを感じる古民家もあります。いずれにしても、大きなお家になると、随分とお金がかかるのでしょうから、維持するのは本当に大変でしょう。しかし、大変だからと、取り壊して今風の家を建ててしまったら、そこに流れていた平安の時間を断ち切ることになってしまい、私達は身を置くだけで安心できる空間を、永遠に失ってしまうのです。

 皆さん、如何でしょうか。周りに古民家があったら、何とか残すように協力して頂けませんか。そこに流れてきた時間をこれからも繋げていけば、多くの人に役立つビジネスにも繋がります。
 そう考えると、古民家は平安製造装置です。