【Vol.119】浮世離れが浮世を救う

 「浮世(うきよ)」という言葉は「憂き世」とも書くくらいで、辛く苦しいこの世の中、つまり、常日頃の仕事や生活に追われている日常の有様を表しています。また、当世の厳しい風に吹かれて世知辛い感じもあるようです。逆に、「浮世離れ」とは世間の常識からかけ離れた言動や事柄のことで、よく「浮き世離れした学者が…」などと使います。どちらかと言えば、浮世の忙(せわ)しない現実から離れて暮らしている人達でしょうか。
 さて、私はここ数年、大学や大手の研究機関のお手伝いをしてきましたが、そこで研究活動をしている方々は、もう、典型的な「浮世離れ」な方々です。中には、「筋金入り」の浮世離れぶりの方もいらっしゃいます。今回は、その浮世離れした方々が浮世を救うお話です。
 先ず、浮世離れが悪いことではないということを申し上げなければいけません。一般的には浮世離れというと、現実的ではないから、世間とかけ離れ、即ち、役に立たないことであると受け止められがちです。しかし、私は最近、かえってそれだから良いことがあると思うのです。特に、研究開発に関してその傾向が多いように思います。

 少し、解説しましょう。「基礎研究」という言葉があります。商品や具体的な事業とは今のところでは成り得ないような研究のことです。学術的に高度で専門的なものをいう場合もあります。いずれも、現実のビジネスとは離れた研究活動のことですが、この基礎研究的な開発が、実は、多くの企業では出来なくなっている現実があります。如何に早い段階で利益をあげるかが、企業の任務というか宿命でもあるのですから、当り前とは言え、裏返せばじっくりと研究開発に取り組めない訳で、言葉は悪いですが「薄っぺら」な研究になりがちです。研究テーマも効率重視で選択しますから、どちらかと言うと、「軽・薄・短」になりがちです。
それに対して、浮世離れした研究機関の方々の研究テーマは、短期的な成果を上げる必要が無い、中長期的なスパンで選ぶことが出来ます。中には、いつ結果が出るか分からないといった、果てしない研究もあるくらいで、それは、じっくりと取り組む環境があるから出来ることです。中身も、じっくりだから濃密とは言いませんが、少なくとも、「深耕」的であることに間違いはありません。

 要は、テーマや中身についても浮世離れしている訳で、ここも、一般的な企業の研究開発テーマとは趣が大いに異なります。
 この違いに、私は期待しているのです。このような、今の日本の多くの企業にはやりたくても出来ない研究をしている研究機関に注目することが、実は、それだけで付加価値があるのではないかと思うからです。目先の(これも言い方は悪いのですが)利益をあげるしかない企業と比べて、環境もテーマも浮世離れしている研究機関が、これからの日本を救うのではないかと、本気で思うようになったのです。競争に疲れ、アイデアも縮みがちの研究開発者と、少年のような目をした純真無垢な研究者。この差異に、これからの日本を救うパワーがあるように思います。

 浮世離れが浮世を救う。皆さん、「浮世離れ研究所」に注目しましょう。