【Vol.118】技術の本質

 先日、金平糖のお話をしました。職人が、伝統の技術で作る、まさに職人芸のお菓子です。糖蜜を大きな回転している釜に、まるで水をまくようにふりかけて、あのイガイガを作っていくのです。不思議なものです。正に秘伝。口から口に伝えられた技術は、師匠から弟子にしか伝えず、何のマニュアルも存在しません。ある意味、門外不出にすることで技術を護りながら、大量生産による不当な価格競争や過当競争を回避する知恵でもあったのでしょうか。

 …が、何と、その金平糖を作っている企業があったのです。モノはお菓子ではありません。ある種のセラミックスですが、カタチは金平糖そのものです。本体の球状の周りに突き出たイガイガの形もその数もほぼ同じです。もう、ビックリしたのを通り越して、思わず絶句しました。「一体、何でこの形が必要だったのですか?」。唸るように訊く私に、「必要だったからです」。涼しい顔とはあの様な顔なんでしょう。「確かに、大変だったけど、必要なんですよ。表面積を大きく採りたかったから」。
 納得です。そのセラミックスの機能は、表面積が大きければより効率的になります。しかし、何の縁もゆかりも無いところで、全く同じような秘伝が存在する。これが不思議です。「どうやって作るんですか?」。訊いた後で冷や汗が出ました。お菓子のほうで訊いたときには、ジロリと睨まれて終ってしまったことを思い出しました。ところが、秘伝を教えるわけが無いと思っていたのに、あっさりと「条件出しに時間はかかったけど…」と、全部教えてくれたのです。そして、聴いて納得しました。確かに、工業製品と匠のお菓子とでは違います。が、同じなんです。イガイガができる条件があるのです。その手法も工程も多分一緒です。そして、多分、技術の本質は同じなんです。

 帰りの新幹線で「今日見たことは、一切、口外しないようにしよう」。そう決めました。そうしないと、せっかくの秘伝が秘伝で無くなります。文化が消えると言ってもいいくらいです。私が飲み込めば、護りつづけた技術を、私も護ることが出来る。そう思うと、嬉しくさえなります。そして、技術の本質について考えました。
 「本質は同じ」。私の結論です。技術にはある種の理(ことわり)、道理や理由があります。材料や用途、目的、開発の動機、其々が全く異なるものであっても、原理原則は同じなんです。
 例えば…、
(澱粉を湖化して)ノズルからはるさめを押し出し、乾燥前にある程度のテンション(引張力)を与えると、引張方向の強度が増大してコシが出る。これは、化繊の強度を上げるのと同じ。
また、お蕎麦を急冷すると歯ざわりが格段に良くなる。これは、焼入れと同じで、硬度が上がること。
伊賀上野の名物「固焼きせんべい」は、焼きながら叩くが、要は鍛造技術と同じ。
ある種の多孔質フィルターは含浸した水を凍らせて、その結晶を取り除いた跡が穴になることで作る。これは、凍み豆腐の作り方と同じ。
なぜ軽石ができるのか。昔懐かしい「ポン菓子」と同じ。材料を加熱・加圧して大気に開放すると発泡するから。
昔使った練炭はトウキビの絞り粕、つまり蔗糖で固めた。
無機材料を固める時に使うバインダーは炭水化物、つまり蔗糖のようなもの…。

 数え上げればキリがありません。お分かりでしょう、技術の本質は同じなんです。
 秋の夜長。技術の本質に迫るのは如何でしょうか。