【Vol.115】職人だけの国

 京都で唯一(日本でも一つしかない)、金平糖(コンペイトウ)工場を見せてもらいました。そうです、全面に星型の小突起がある、あのお菓子です。
小さな芯(けし粒やザラメ)に砂糖の蜜をかけては固め(過熱して乾燥)、またかける。そしてまたかける…。大きな釜がゆっくりと回って、その中で、ザラザラと音を立てながら、金平糖が小さな雪崩のように崩れています。そうして、一回かけて数ミクロン。気が遠くなるほどかけ続けて、少しずつ少しずつ生長するのだそうです。50℃にもなるような部屋の中で、そんな作業を何週間も重ねて、金平糖が出来るのです。その工場を見せてもらえたんです。本当は見せてもらえないそうですが、ムリにお願いしてのことです。

 職人技とは、まさにこのことでしょう。「蜜かけ5年」と言うのだそうですが、職人が自分の釜(職人は自分の釜があり、一生、それを使い続けるのだそうです)に向かって黙々と作業しています。チャパッと糖蜜をかける音と、ザーッと金平糖の赤ちゃんが崩れる音。この繰り返しです。
 思わず、「機械化できないだろうか」と考えましたが、ふっと、「そんなことになったら、このお菓子の価値がなくなる」と考え直しました。ゆっくりと作るから、ゆっくりと出来るから、このお菓子には価値があるのです。少しずつ生長する糖蜜の結晶にかかった時間に価値がある…。そう思い直して、自分の不明を恥じました。
 宿に帰って、数粒食べました。カリカリと砕けてすうっと溶ける金平糖。きっと、昔から何百年も変わらない味わいです。職人が手塩(手蜜?)にかけて守ってきた伝統の味とカタチ。

 食べながら、「職人」とはなんだろうと考えました。色々なご意見があろうかと思いますが、私の考えた職人の定義です。
 先ず、マニュアルがありません。技は口伝(くでん。口伝えに教えること)か、師匠から盗むもの。誰も積極的に教えてはくれません。出来ない人は、去るしかありません。ですから、技の品質は高度に伝承されます。
 そして、多くは作りません。手を抜いているのではなく、手作りですから、自ずと生産量には限度があります。一番の感動は、皆さん真面目な方々(4名の職人さんでした)です。考えれば当り前です。50度にもなるような職場で、続ける作業。信念がなければ出来ない仕事です。私ごときの及ばない、仕事への誇りが支えているものと思われます。
 その他、無駄のない動き、鋭いが優しい目。きちんと整理整頓され、しかも清潔な職場…。こうして挙げていくと、どれも、私の幼い頃に珍しくはなかったことでした。

 …で、夢みたいなことを考えたんです。それは、国民全てが職人の国になることです。
 想像してください。街には大きなスーパーなんかありません。お豆腐やさん、パン屋さん、洋服やさん、八百屋さん、みんな職人が作って売っているのです。手作りですが、其々の個性があって、お客も自分の好みでお店を選んでいるようです。中には、売り手がピリピリするほど厳しいお客もいるようです。そういう意味では客も職人です。
 大きな工場もありません。ちっちゃな町工場があちこちにあって、大量生産なんかしません。職人の手は油で真っ黒ですが、その顔はみんな優しくて穏やかです。技術に自信と誇りがあるからです。
 高齢者ですが、自分のペースでムリしないで良い物を作ります。失業者など、どこにもいません。出来ることを、皆で分け合って作るからです。
 職人の街は、活気で溢れています。それはその筈です。職人は海外の製品や企業とは競合しないからです。大量生産は出来ませんが、職人が供給する高付加価値の商品やサービスは、到底、海外企業には真似できないことです。経済的にも、雇用の面でも、平和で豊かな街がそこにあります。

 どうですか、皆さん。国民全てが職人の国…。
 案外、理想の国かも知れません。