【Vol.323】行きつけの事業承継

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 もう30年も通っている行き付けのお店があります。行き付けになるお店はどちらもそうですが、最初は、クライアントが行き付け、或いは贔屓(ひいき)にしているお店を紹介してもらい、いいなと思ったら、とにかくそこに通うのです。
 そうして行き付けになったお店、30年も通っていますと、当然、お店の人も歳をとりますし、亡くなる方もおられます。ついこの間も、ご主人が亡くなられたお店がありました。
 30年間、ご主人とはどちらが客か分からないほどに打ち解けたと言いましょうか、馴れ親しんだと言うのでしょうか、とにかくお互い友達のような話し方になりまして、いまも女将は私のことを弟のようにしてくれます。

 今から十年くらい前、息子が入店しました。どこかで修行していたのでしょう。最初から包丁捌きは中々ですが、あえてご主人は裏方を命じて、決して客の前で魚を捌くことはさせませんでした。
 それが、五年くらい前からカウンターに立つようになりました。ただし、ご主人が一番奥の位置で、その次の位置ですから、まあ言うところのナンバー2でしょうか。
 そして、三年前からナンバーワンの位置に立つようになったのです。聞けば、ご主人は病気になっていたようです。相変わらず、息子には厳しい物言いですが、目は穏やか、と言いますか、息子を頼りにしている好々爺です。

 
 そのご主人が一年前に亡くなられました。私より五つ年上ですから70歳を前にして逝かれました。
 生前、冗談で「わしも長くはないからのう」と、広島弁で話しておられたのを、昨日のように想い出します。

 そんな行きつけに、二ヵ月ぶりくらいでしょうか、行きました。
 いきなり女将が「明けましておめでとう」と、暫らく来ていないと皮肉な挨拶をします。勿論、年が明けて一度行っているのですが、忘れたフリの冗談です。
 いつものようにたわいのない話をしながら、客足が気になります。私の店でもないのに、繁盛しているかどうか、とても気になるのです。
 最初の内、中々お客さんが来ないので気を揉んでいましたが、何のことはない、私は開店早々5時から居るのですから、そんな時間から呑んでいる客は少ないと気付き、一人で笑いました。

 6時を過ぎて、お客さんが来始めます。そして7時ころ、客の入りは上々です。と言うより、中々の繁盛です。ひっきりなしに家族連れや団体(数人)さんが二階(お座敷)に上がります。私はいつもカウンターですが、その席もちょうどいい感じになりました。
 さすが、30年来の馴染み客はもういなくて、知っている顔はありませんが、ほとんどの客はここしばらくのお馴染みさんらしく、息子も気軽なやり取りをしています。私は息子のことをファストネームで呼び捨てですが、いつものように私への気配りも上々です。

 そんなやり取りの中で、ふっと「事業承継」という言葉が浮かびました。ああ、無事に息子の代になったんだと、ホッとしたのです。加えて、何となく亡くなったご主人の話をしたのです。
 「こうやって、息子がちゃんとやっていて、親父も安心しているだろうなあ」。自分の息子でもないし、家族でもないのに、そんな余計なことを言いました。
 「お蔭さんで。でも、生きていたら、まだまだ怒られていますよ」。笑いながら返す息子の顔も嬉しそうです。

 行きつけの店の事業承継は上手く行ったようです。
 そして、代はかわっても、行きつけの店があることの嬉しさが込み上げてきたのです。

 またしばらく、通うことになりそうです。