【vol.285】楽観エネルギー

 いつも思うのですが、物事は楽しくやった方が良いのではないでしょうか。どうせやるなら、楽しくやれば効率も上がりますし、結果も良いと、私は思うのです。

 しかし、案外、嫌々やっている人が居られまして、何をするにも仏頂面。このような人のお顔を見る度に、何か楽しみがあるのかなあと、余計なお世話かも知れませんが、色々考えてしまいます。まあ、それがその人の性格かもしれませんが、その人にも楽しいことは有る筈で、不幸になる為に生まれて来た人は誰もいないと、私は思うのです。

 そこで、いつも楽しそうに仕事をしている人の原動力は何か、或いは、楽しくするコツはあるのか、そんなことを考えてみました。

 間違いないのは、いつも楽しそうにしている人は、とにかく前向きです。失敗しても、ハッハッハと笑い飛ばし、直ぐに次の手を考えるパワーを持っている人です。

 先日も、人事の都合で着任した上司に嫌われて、閑職に追いやられている人と話をする機会がありました。聞けば、この人は失敗したり、不祥事を起こした訳ではありません。逆にバリバリ出来る人なのですが、その上司から見れば、かえって自分の無能ぶりが露呈してしまうのが嫌で外した、というのが真相のようです。しかし、その外された人の明るいこと明るいこと、まるで、そんな不幸を楽しんでいるかの様でした。

 「彼(上司)が一生自分の上に居る訳でもないし、歳から言ってもそのうち定年になるし、まあ、なんとかなるさ」と、本当に屈託なく笑い飛ばすのでした。思わず、「そんな仕打ちをされて、悔しくないですか?」と訊けば、「だって、私の人格を否定されたわけでも無く、彼は自分で気分が悪くなっただけだから」と言うのです。

 私はハッとしました。そうなんです、上司は自分の無能ぶりが露呈するのではないかと心配になり、自分で自分の気分を悪くしたのです。逆に外された人は、上司の気分の問題と分かればそれだけの事、自分さえしっかりして居れば、何も気にすることはないと、楽観的に考えているのです。

 なんと素晴らしい考え方でしょう。嫌な事をされた時、その原因が自分ではなく相手自身の気分の問題であると考えれば、何も困ることはありません。原因がその人の気分であるならば、それは一過性の出来事。しかも、気分というのはその人固有の心情ですから、一番嫌な思いをするのはその人自身。そうなのです、よく考えれば今回の事件 (?) で一番嫌な思いをするのは、その上司自身で、外されたこの人自身に実害は無いのです。

 こうしてみると、如何に人間というのは気分が大事であるかが分かります。逆に、気分次第で物事の捉え方、或いは、関わり方が変わるのです。この場合、上司は自らの気分を悪くして、結果、部下を閑職に追いやることで、一時、気分を良くしようと考えたのでしょうが、相手を嫌な気分にさせることで自分の気分が良くなることはありません。気分で決めたという後ろめたい気持ちは、却って、更に気分が悪くなるかもしれません。

 誰かが言いました。「悲観は気分、楽観は意志である」と。確かに、悲観的になるのは不安になるからでして、否定的な見解は自身の気分によるものです。

 対して、楽観的になるには良くなるだろうという期待があるからで、そこには、意志という前向きなエネルギーがあるのです。例え、周囲の者が悲観的になっていても、自分の気持ちが前向きで、行こう、行けるぞという意志があれば、楽観的になれるのです。

 如何でしょうか、今度の事で、私は楽観的になるにはエネルギーが必要であることを知りました。そして、このエネルギーを楽観エネルギーと呼ぶことにしたのです。

 さあ、これから私は楽観エネルギーを持っている人としか付き合いませんよ。それはそうでしょう、楽観エネルギーに触れれば、こちらにもエネルギーが伝わります。

 そうして、皆で、楽観エネルギーを世界中に充満しようではありませんか。