人の噂(うわさ)も七十五日と言います。世間の噂も一時的なことで、しばらくすれば忘れてしまうということです。しかし、絶対に忘れてはいけない事があるのです。
それは、一年前の3月11日、そうです、東日本大震災は絶対に忘れてはいけません。今、あの日のことを思い起こすと涙が出ます。テレビで見ていた津波が町を襲う光景は、今でも私の目に焼き付いています。
しかし、人間というものは、辛い出来事や苦しいことを忘れようとする本能があるようで、早く苦痛から逃れる為に、神様が人間に下さった能力なのかもしれませんが、この事だけは絶対に忘れてはいけません。
いくら本能が忘れようと機能しても、絶対に忘れてはいけません。どうも、最近の新聞や報道番組を見ていますと、一年目の節目だから前を向こうとか、将来の為にとか、何か、本質を隠してやり過ごそうと考えているようなフシが見受けられますが、それは絶対にいけません。
昨年の4月7日、私たちは釜石に行きました。クライアントが寄贈してくれたクルマに乗って、そのクルマと、ささやかながら釜石の人たちに支援物資を届ける為でした。
見るも無残な街並み、大槌町は津波と火災で街中が赤茶けてセピア色、まるで、戦争で廃墟と化した映画のように、不気味な静寂感に満ちていました。
その先に行こうと、町を抜けて高台に出る道には、よく見ると、昔に立てられた石碑が立っています。およそ、海抜38メートル (殆どの石碑は38メートルにありました) の位置にあるその石碑には、“津波到来地点 ここより低地に住むべからず”と書かれてあったのです。ああ、昔の被災者が遺してくれた警告が、それも永久に残るようにと石碑に書かれた警告を、いつの間にか、忘れてしまったのでした。
いいとか悪いとか、そんなことを言っているのではありません。人間とは、かくも忘れるのだと言いたいのです。私たち人間は、辛いことや苦しみを、出来るだけ早く忘れるように出来ているとも言えるのですが、それがアダにもなるということを、絶対に忘れてはいけません。
そして、あれから一年。復興の青写真を描く、そのもっとも基本的な視点の中に、無意識に1000年に一度のことだから、と考えているフシはありませんでしょうか。1000年に一度のことだから、いや、もっと先に来るかもしれないからと、石碑に書き残すだけで対策は終わり、と考えてはいないでしょうか。
出来る技術があったかどうかは別にして、もしも、先の大津波の教訓を生かし、絶対に乗り越えられないような防波堤があったなら、今度の震災で亡くなる方はいなかった筈です。あっという間に高さ634メートルの電波塔を建てる技術があれば、コンクリートで38メートルの堤防をつくることなど、何も問題はありません。やれ景観がどうの、コストがどうのという議論があるのなら、それは、忘れたい為の方便としか聞こえません。
殆どの国土が海抜ゼロメートルのオランダは、長年に亘り、まさに大地を作り上げたではありませんか。想像してください。津波が来ても絶対に安全な防波堤があったなら、町の再開発に何の障害もありません。元通りに、住宅もお店も工場も、昔と同じように作ればいいのです。
如何でしょう、海抜38メートルを超える高さを誇る、それこそ“万里の防波堤”をつくること、それが、絶対に東日本大震災を忘れないようにする、唯一の手だてではないかと思うのです。