【Vol.264】会社の辞め方

 最近、残念な話を聞きました。それが、会社の辞め方なんです。

 先代から受け継いだ事業、それを順調に伸ばしてきた社長から聞いた話です。社長が20代後半の時に先代が急逝され、社長になる準備期間なんてありません。がむしゃらに、とにかく社長業を引き継ぐ、それしか頭には無かったようです。今では、押しも押されぬ立派な経営者になられた社長ですが、順風満帆に見える裏では、色々なご苦労もあったこと、傍に居た私は知っておりました。ところが、先日お会いした時、折り入っての話としてお伺いしたのが、このお話なのです。

 社長になられた時、先代が起用した役員以下そのままの陣容を引き継いで、そんな修羅場を、まさに先代からの社員一丸となって乗り切って来られたのですが、この、先代からの役員をそのまま引き継いだ、その話から始まりました。

 「ねえ多喜さん、あの時は『代が替わるのだから、役員も総入れ替えした方がいい』そんな意見もありました。だけど、自分としては、そのままやってもらおう、そう決めたんですよ。だって、仕えた社長が死んだから、役員も終わるなんて、まるで殉死。そんなの時代遅れだと思ったし、事実、役員の皆さんは優秀だと思ったし、今度は私を補佐をして欲しいと思ったのです」と、正直に話してくれました。

 それから約20年、その時の役員もとうとう定年になる、そんな歳廻りになるのは当然です。「実は、定年で辞める、そのお祝いのつもりでの席で、思いもよらない話があったのです。一人の役員が、私の経営について、『もう、辞めるから言いますが…』と、これ以上の苦言はないくらいに、私を批判したのです。ビックリと言うより呆れました。今更どうして、そんな事を考えていたのなら、ハッキリ言ってくれたらよかったのに。役員なら、社長に進言するのは当然じゃないか、そう思ったのですが、考えてみれば彼より若い者を抜擢し、彼を追い越した役員もいた、そのうっ憤晴らしではないかと思うのですよ。私は、ガックリと言うより、悲しくなりました。ああ、辞めるそのときに、今までの憂さ晴らしを言うのかと、なにか、淋しい気分になりました。せっかく、定年まで勤めてくれたのに、確かに、悔しいこともあったかもしれません。しかし、それを言わずに辞めてくれても、それで済んだはず。もしも、ご縁があるのなら、これからもお付き合いすることもあったかもしれないのに、これで、すべてのご縁が切れてしまった気がします」。

 聞いた私も、とても淋しい気持ちになりました。年下の者に追い越される、それは確かに悔しい気持ちもあったでしょう。しかし、それは実力の問題で、それはそれ。自分の役割を果たせば済むことです。それを、よりによって、定年退職のそのタイミングでの最後っ屁、もっと言えば、立つ鳥跡を濁さずの真逆じゃないですか。

 社長業とは孤独で辛いものです。こんなバカな話、社長としては誰かに言ってしまって気を晴らしたいのは山々ですが、誰にでもという訳にはいきません。第一、その役員の名誉もありますし、会社にとっても嬉しくない話、話すことさえ憚られるのです。辛い社長の気持ち、唯々汲み取るしかありません。

 よく考えると、人間の人格や品格というものは、何かをやめる時や節目に立った時などに顕在化するのではないでしょうか。そう言う意味では、先の鳥だって、飛び立つその時に、鳥の技量がうかがえるもの、そう考えるといいのかもしれません。

 さあ皆さん、人間も動物も、いずれも立つときが肝心なのです。いつも、立つ時にどうあるべきか、それを考えておくことが大事だと、つくづく思った次第です。

 えっ、そう言うお前は大丈夫かって? お任せください。私はもう、やめることがありません。第一、定年がありませんから、仕事だって何だって、ずうっとずっと、やり続けるだけなんですよ。

 …ちょっと答えにはなっていないようですが。(笑)