【Vol.260】両手で持つ剣

 たまに講演ではお話しするのですが、今回のBP通信は、両手で持つ剣というテーマで書こうと思います。誰でも知っている日本刀ですが、両手で操作することによって大きな成果が生まれた事、案外、どなたも知らないのではないかと、書き残そうと思うのです。

 この日本刀、勿論、今では使うことはありませんが、その昔、およそ鎌倉以前の時代から、鉄砲が伝来するまで、日本特有の武器として、戦争における主力武器でした。それからずうっと、戦国時代を経て明治に至るまで、武士は日本刀を腰に差し、いつでもどこに行くときも、帯刀を義務付けられていたのです。

 さて、この日本刀、他の国の剣とは異なる点が、一点だけあるのです。それは、日本刀は、必ず両手で操作するのです。厳密に言えば、中世のドイツやイタリアに、両手で持つ剣術があったらしいのですが、我が国の剣術のように、多くの流派や流儀や技、そして、近代においては、段位や称号を与えるように発達した例は、海外にはありません。

 はじめは戦闘手段だったこの剣術、戦乱の時代が終わると、今度は武士の心身鍛錬という目的が強くなり、それとともに、流派や流儀・技が多様化し、文化として花開いたと言ってもいいでしょう。

 さて、日本の刀剣は両手で操作する、それは分かったが、大きな成果とは何か、そう思われる方も多いと思います。実は、このお話は私が考えた事なので、正しいのかどうかは分かりません。しかし私は、若いころ剣道をしており、それもかなりのめり込んでいた者なのです。19歳で四段をとり(23歳で五段)、その年の東日本学生選手権で優勝したこともありました。ですから、剣道を学ぶ者として、この日本刀の特性と言いますか、日本独自に発達した所以などを、いつも考えていたのです。

 私なりの結論は、日本刀を両手で操ることに加え、文化として発達させたところに、大きな意味があると思うのです。

 刀剣は、当たり前ですが、相手を殺傷するための武器です。しかし、それを使う行為、つまり戦争が無くなってから、職業軍人である武士は、その存在意義を剣術という文化に求め、自らの情熱を注ぐことで、心身の劣化を防いだのではないのでしょうか。

 つまり、人殺しの道具だった刀剣を、あえて技術的、或は、文化的な道具に置き換え、その成果は、心身鍛錬であると考えるようにしたことが、我が国の技術立国の礎になったと思うのです。

 何を大袈裟に、そう言われる方も多いかと思いますが、礼に始まり礼に終わる。剣道を言い表すこの言葉に代表されるように、人殺しの道具をそのまま使いながら、文化財に進化させるには、人を殺さないという明確な態度での表明が必要で、それが、礼なのです。そして更に、礼は相手を敬うことですから、そこに学びの精神が生まれ、相手の技や自らの技に対する向上心が生まれることになるのです。

 質素勤勉という、今では嘘みたいな規範は、戦争をするのが本職の武士が、止むに止まれず開発した、一種のビジネスモデルだったのではないでしょうか。

 こうして生まれたビジネスモデル、しかし、そのすそ野は拡大して行きました。人殺しはしないのに、日本刀は本来の武器とは違う美術品として高度化され、周辺の装飾品は、今で言うブランド品として販売されました。武具甲冑も同じようにして、多くの職人が独自のデザインによる商品開発に勤しみましたし、茶道という文化も、武士が嗜むことで、茶具や掛け軸等の周辺グッズの生産によって、大きな市場を形成したのです。

 考えてみると、もしも片手で日本刀を操作していたらどうなったのでしょうか。多分、そこには技量の発達は無く、チカラまかせの殺し合い、とても流派や流儀・技が生まれたとは思えません。当然、戦争が終われば、それでお終いとなったのでしょう。

 如何でしょうか、私たちは、何故そうなったかは分かりませんが、両手で刀剣を操作したことがきっかけで、このような技術立国になったと言ってもいいのではないのでしょうか。屁理屈だと言われても、私はそう思うし、自分自身の中にある思考は、そこから来ていると信じたいのです。

 翻って現代、技術立国であるはずの我が国が、コスト競争に呑みこまれ、価格が安ければいいと言われているのは、どこかで、何かを、置き忘れた結果だと思うのです。

 武士になれとは言いませんが、この国独自のビジネスモデルを、もう一度、皆で創ろうではありませんか。