【Vol.133】運は実力か

 運が良いとか悪いとか、とかくこの世は運まかせ…。今回は「運」について考えます。

 「運って実力ですか?」別れ際に、彼が訊いてきたのが始まりです。そのときは、思いがけない質問に戸惑い、「とにかく攻めることかな」、なんて適当に答えてしまいました。転職し、さあこれからという彼にとって、思うほど上手く行っていないのは知っていました。ですから、現状を変えるヒントが欲しかったか、或いは、今の自分は運が悪いと思っていたのかも知れません。
いずれにしても、そんなにしょっちゅう受ける質問ではありません。別れてから、少し考えました。

「運も実力のうち」という言葉があるくらい、運と実力の間には、明らかに関係があると思うのです。しかし、どのようなチカラがあると運が良くなる、或いは開かれていくのでしょうか。そこを考えてしまったのです。
そんなこと、どうでもいいことかも知れませんが、彼にとっても、私にとっても重要なことです。だって、運は天命であり宿命であって、誰にも動かせないものなら仕方ありませんが、もしも、そうではない部分があるのなら、運が悪い時に、運を良くすることが出来るのかも知れないからです。

  …「運」とは、受け取り方だと思います。
 予期せぬ嬉しいことや楽しいこと、ありがたいことは、当り前に「運が良い」と言いますが、その逆の経験をした時は、普通は「運が悪い」と思うものです。しかし、この自分に降りかかった運について考える場面で、つまり、運の受け取り方や姿勢を決めること自体は自由ではないかと思ったのです。
悪いと受け取るか、良いと受け取るか、その受け取り方次第で、全く逆の結果になり、そして、実は、その受け取り方は自由に決められる…。そう思ったのです。 
例えば、普通なら運が悪いと思われる時に、「つらいことを経験させてもらって、運が良かった」と受け取ったらどうでしょう。悪いときに、「得難い経験をさせてもらった」と前向きに考えることが出来れば、良い場合は勿論、悪いことも全部「運が良い」ことになります。むしろ、何か得をした気分になるくらいです。

 もっと言えば、運とは「捉え方」かも知れません。待っていて受け取るより、積極的に捉えに行く姿勢になれば、運が良いとか悪いかの議論ではなく、結果は全て前向きの運になって行きます。運を捕まえに行くと言ってもいいのかも知れません。自分の意志と責任で運を捕まえに行くのであれば、そういう意味で、運は実力になるのでしょう。

 結論。運は実力です。うん。