【Vol.97】一生の糧の時間

 羽田空港で去年まで教えていた学生にバッタリ会いました。「おぅ、元気でやっているか。」「おかげさまで就職も決まって、これから北海道です。」内定が出て染めたのでしょうか、茶髪がいかにも軽い感じです。「学生でいる残りの時間で、たぁ~っぷりと遊びますぅ。」笑いながら、まるでお笑いタレントみたいでした。就職が決まり、先ずは一件落着なのでしょうが、チョッと気になりました。そうです、残りの時間で…というところです。

 私にはそのような経験が無いのでわかりませんが、そんなに就職が決まると遊びたくなるものでしょうか。学生でいる間の自由な時間は理解できるのですが、それを遊びに使うだけでは、何かもったいないと思うのです。それだけお前が年をとったんだよと言われればそうですが、やはりおかしいと思います。
学生の身分でいることは、ある意味で特権です。一般的な学生は全部親掛かりで暮らしていますし、税金を払う必要もありません。同世代で就労している人に比べれば、会社に拘束される訳では無いし、仕事上の責任もありません。その上、学割で大抵のことは安くなっています。要するに、勉学に専念するための身分を保障されている上に、かなりの優遇的な恩恵を受けているのです。何より、自由な時間をどう使うか、誰にも拘束されない自由度が最大の特権です。その、太平洋の大海原のように深く広い自由な時間を、只々遊びに使う…。やはり、変です。

 ふっと来春採用の二人のことを思い浮かべました。九州工業大学大学院を卒業して、SIに来る二人の若者です。早速メールしました。「…ところで、来春まで、両君にお願いしたいことがあります。それは、残りの学生生活を遊んで過ごさないで欲しいという事です。学生だから出来ること、それは、学友や先生方とのご縁をより深めることです。大学とは決して遊ぶ場所ではありません。社会人になっても、自分で時間を作ることは出来ますし、思う存分、自分の金で遊ぶことが出来るようになります。どうも、このことえお理解しないで、肝心な時間を無駄に過ごす学生を見ていると、本当にもったいないと思います。どうか両君にはこのところをしっかりと理解してもらい、残された時間を、あなた方の『一生の糧の時間』にして欲しいと思います。そして、SIで共に働き、大いに遊ぼうではありませんか。」
 早速返事が来ました。
 「多喜さんが言われる様に、残りの学生生活を『一生の糧の時間』にできる様に、毎日考えながら過ごそうと思います。とても良い言葉を有り難うございました。」

 学生時代を自ら中途半端に終わらせ、自分の不明に気付いてから、只々がむしゃらに過ごしてきた私にとって、失った学生時代の時間を彼らにあげることができれば…、そう思ったのです。
 私には無かった「一生の糧の時間」を。