20年目の冥利
嬉しいことがありました。
永くお付き合いさせて頂いているクライアントから新規(別口)のご契約をいただき、その最初の会議の時のことです。ご担当が、何と20年前に私が新入社員研修の講師を務めた時の新入社員だったというではないですか。
名刺交換の際に、「多喜先生の講義をずうっと覚えています。こうして、20年経ってまた先生のお話を聞けて、本当に嬉しいです」と。まさに、講師冥利に尽きるとはこのことを言うのでしょう。
「あの時、先生は講義の中で『これからの企業は、知財が経営戦略の柱になる』と言われ、とにかく知財部に行きたいと、その時から願い続けてきました」
20年前に私の話を聞いて、ずっと願い続け、そして念願叶ったことに、私は嬉しいのを通り越して、歳を忘れて舞い上がってしまいました。
しばらく往時の話に花が咲いたのはもちろんですが、帰りの新幹線でふっと考えました。それは、「講師の責任」です。
もし20年前に、私が変な話をしていたら、どうなっていたでしょう。その方の会社人生は変な方向に向いてしまったのかもしれません。もちろんそんな責任を問われることはないでしょうが、講師としての責任の重みを改めて感じました。
当時、そのクライアントとご契約をいただいて3年目の春でした。それまで、クライアントの事業所を回りながら、知財化できる案件を掘り起こすという仕事を続ける中で、新入社員研修の講師をやってほしいと依頼がありました。
私は新人研修コンサルではありませんから、最初は断りました。しかし、「『全社を挙げて知財戦略を重視している』その話をしてもらいたい」と言われ、そういうことであればとお引き受けしたのです。
最初の受講生は、本社に入社した新人およそ30名位だったでしょうか。それが、2年目になりましたら、本社はもちろんのこと、グループ会社の新入社員も加わり、さらに本社の人事部の職員全員が聴いてくれました。
そして3年目には、本社とグループ会社の課長クラスまでもが受講することになり、新入社員研修というより「会社方針説明会」という感じになりました。
振り返れば、その時にご提案したその戦略が、今もこのクライアントの経営戦略の柱になっております。まさに最初に依頼されて講義した、「全社を挙げて知財戦略を重視しよう」というのが、直球ど真ん中の経営戦略なのです。
そして20年。私が言うのも変ですが、それが正しかったという事です。
さて、早くも2年に及ぶコロナ禍の中、多くの企業は開発を進めることさえ出来なくなっているのが現状です。なにせ、人の行き来が出来ず、肝心の現場での開発会議を開催することが出来ないのですから最悪です。新しい情報に触れたくても3密回避と同じこと。新しい情報に濃厚接触が出来ないのです。
一体、コロナはいつになったら収まるのでしょうか。でも、今回のことで私は光明を見たような気がします。それは、ここまでやってきたことに自信を持つことです。正しいと信じたことを貫くという事ではないでしょうか。
個人も会社も、目先の事象に惑わされることなく、ブレずに堪えることが、今、一番大事なことではないかと思います。
これまでとこれからを、自分が信じていることを続けるしかありません。
そして、私は20年目の冥利を頂いたのです。
リスペクトし合うビジネス
これは人間の性(さが)と申しましょうか、本能なのでしょうか。コストの話になるとたたき合いになるのは、一体どうしてでしょう。
何が一番不愉快かと言えば、コストダウンの話です。せっかく良いものを創ろうと努力しても、商品として売り出した途端に値引きの要求が来るのです。
まあ、いつものことだと思えばよいのでしょうが、いつもいつも「安く安く」と言われては空しくなるだけ。開発の意欲が失せてしまいます。
ナニワのおばちゃんは、値切るのが当たり前。いや、あいさつ代わりと言われたこともありますが、ビジネスの場でも当たり前では困ります。確かに買い手は強いのかもしれませんが、一生懸命の結果を値切られるのは人格を否定されたのと同じように、私は感じてしまいます。
産業界も「安く安く」と言うばかりです。公共事業は競争入札で一番安いところを決めますし、今や、あらゆる業界で相見積もりは当たり前。値引きで競わせて、とにかく安い方がいいなんて、我が国の産業はこれからどうなってしまうのでしょうか。
ところが、世の中を見渡しますと、値引きの競争ではなく、技術やノウハウで競い、勝っても負けても、お互いにリスペクトするのが当たり前ということもあるのです。
それを感じたのが現在、ワールドカップで盛り上がっているラグビーです。激しくぶつかり合った末にケガをして出血することもあるスポーツですが、ノーサイドとなった途端にお互いをたたえ合う姿を見ると、涙が出るほど感動してしまいます。
加えて、負けたチームのコーチや選手が、決して弁解することなく勝った相手をリスペクトするコメントにはそのコーチや選手の品格が表れていて、とても素晴らしいものでした。
「お互いをリスペクトするビジネスをしたい」。私はテレビを見ながら、そう思いました。
日本が勝っているからではありません。外国チーム同士のゲームを見ても思うのです。「試合中は全力で戦い、ノーサイドとなったらお互いにリスペクトし合うようなビジネス。私は、そのようなビジネスをしたいのだ」
例えば公共事業なら、こういったことです。
応札する事業者は、自分たちの技術やノウハウを惜しみなく開示し、掛かる費用(工事代金)を掛け値なしで正直に請求します。施主(発注側)は、それらの事業者から長所や特徴という尺度だけで厳選して発注します。その中で、もしも予算(予定した金額)を大きく超えた場合は、発注側も正直にそのことを伝えてお互いに歩み寄るのです。それでも調整できない場合は、設計を変えるなり、部分的に予算内で出来る事業者を探すなり、双方で調整すればいい。
産業界の相見積もりも同じです。発注側だけではなく、見積書を提出した事業者にも他社の見積書を開示し、事業者同士に納得させて決めるのです。お互いに相手の長所や特徴を知ればその部分での値引き競争はなくなり、自分の長所や特徴を伸ばすことで受注を目指す姿勢に変わることでしょう。
よく考えますと、本当の競争とは、観客(顧客)という衆目がチーム(事業者)の順位を決めることではないでしょうか。
誤解を恐れずに申し上げますが、発注側が見積書のコストだけで競争させるのは、本当にフェアプレーと言えるのでしょうか。値引きを要求するだけでなく、技術やノウハウ、そして事業者の経営姿勢もリスペクトして発注するのが本当のフェアプレーではないでしょうか。
そのようになれば、どこぞの大企業の経営者が、出入りの業者から(菓子折りの底に小判を忍ばせた)ワイロを受け取るようなばかな話はなくなるかもしれません。
お互いにリスペクトし合うビジネスをしようではありませんか。
アップデート
「ビジネスモデルを決めましょう!」と言い続けています。私はビジネスモデルを「事業を進める上で最も基軸となる最上位の概念」と定義しており、そのビジネスモデルを実現するために、新事業・新商品を提案・開発しているのです。
しかし、ほとんどの会社はビジネスモデルを決めないまま、売り上げや利益といった目先の数字を気にするばかり。ですから、本当に強い事業や売れる商品を開発することができないのです。
少し前、ある会社が素晴らしいビジネスモデルを表明し、それを実行し始めたことを知りました。その会社は大手家電メーカーで、白モノ家電と言われる冷蔵庫や洗濯機をはじめとして、家庭用電気製品なら何でも造ってきた会社です。その会社がこのたび表明したビジネスモデルが「くらしアップデート」というものでした。
言うまでもなく、アップデートとは、データを最新のものに更新するという意味です。
つまり、これまで家庭用電気製品を製造・販売してきた会社が、これからは製品というモノではなくて、お客さんの暮らし、つまり生活そのものを更新してあげましょうというのです。
これはまさに、私が言い続けてきた「モノからコト」の典型です。
コト(事柄)として、人々の基盤である「生活」そのものを良くしてあげるというのですから、受け取り方によっては超偉そうな上から目線の物言いに聞こえるかもしれませんね。でも、素直に受け取れば、これほど顧客に尽くす表現はありません。もちろん、この会社が目指すところは後者です。
なぜ、このようなビジネスモデルを表明したのでしょうか。それは、この会社のビジネスモデルそのものがアップデートする必要に迫られていたからだと、私は考えます。
かつて、我が国の高度経済成長期を牽引してきた大企業が、今、大きな転換期を迎えています。そのような中、新しいビジネスモデルを見いだせずに迷走している企業は実に多く、特に、モノづくり企業はハードにこだわるあまり、新しい方向を見つけることができないのが現状です。
当たり前ですが、モノの競争力は品質とコストです。いいモノを、より安くしなければ競争に負けるだけ。ですから、これまではそうならないようにモノの改良・改善を重ね、さらに、コスト競争力を強化するために生産拠点を海外に移転するのが常套手段でした。 しかし、戦い続けてボロボロになった刃先をいかに付け替えたとしても、刀剣という武器そのものが時代遅れで役に立たなくなったことを、理解しなくてはいけません。この会社は、鉄砲というすごい武器が現れて戦国時代を終わらせたことに気付いたのです。
この会社は、シンプルな電気器具の製造から始まり、売上高8兆円をうかがうまでになったメーカーですが、これまでは、あくまで電気製品という枠の中での歴史でした。
それが、アップデートというビジネスモデルで、すべてを新しくして、歴史をも変えようとしているのです。しかもそれは、自社はもちろんのこと顧客の生活までもアップデートしてあげるという、何とも壮大なビジネスモデルです。
私はこの「アップデート」という表現に感動しました。しゃれた言い方だと感じたこともありますが、何より、このビジネスモデルの根底にある強い意志と柔軟な創造力に感銘を受けたのです。
だから皆さん、私たちもアップデートしようではありませんか。アップデートしましょう、アップップ。なんちゃって(笑)。
49回の送別会
いやあ、すごい人がいるものです。50歳になったばかりの働き盛りの人が転職することになったのですが、送別会がなんと49回も行われたというのです。
転職というのは、今いる会社を退職するわけですから、退職される会社としては、いくら円満退社だと言われても手放しで喜べないのではないでしょうか。しかも、この人の場合、円満退社は表向きで、実はやりたいことができなくなって会社との溝が広がった結果のことでした。ですから、そのことを知っている会社側の人はお祝いするどころか、送別会も形ばかりにしてほしいというのが本音でしょう。
そのような状況なのに、49回も送別会が開催されたのです。そうでなくても、これほど惜しまれての転職というのも珍しいではありませんか。なぜそうなったのか、大いに気になるところです。
繰り返しますが、この人はやりたいことがあって、それをバリバリとやっていたのに途中で会社の方針が変わり、やりたくてもできないようになったのです。ですから、大げさに言えば業務命令に背いての退職であり、まさに自己都合です。しかも、次の転職先を隠すこともなく聞かれれば素直に言っていたようで、会社側としては面目丸つぶれです。
そんな状況ですから、いくらその人に好感を持っていても、会社側の思いを勘案すれば、送別会をすること自体、はばかられるでしょう。それも、普段は関係がない部署の人まで加わり、退職前の有給休暇を消化するのも惜しみながらの49回(およそ3カ月かかったそうです)ですから、これは、ある意味でクーデターみたいなものかもしれません。こうなっては、会社としては「いいかげんにしてくれ」と言わんばかりに不愉快な話です。
ところが、さすがに役員クラスは出なかったとのことですが、会社のほとんどの部で、それも自主的に送別会が行われたのです。
その人には、私も何度かお会いしたことがありました。そして、その人が退職すると聞いたとき、私も「送別会をしなければ」とすぐに思ったのです。ですから、その人をよく知る人なら私と同じように送別会をすると決めたに違いないことは、実は、想像に難くないことでした。
本来、不本意なことであるはずの退職に対し、その理由を知った上で、祝福なのか激励なのか、これほどまでに名残惜しい49回の送別会につながった理由とは何か。
私は、この人とは会社は変わってもずうっとお付き合いをしたいという強い願望が、49回の送別会というカタチになったのではないかとみています。
普通、退職すれば同僚ではありませんし、仕事で付き合うこともなくなります。しかし、この人には、会社が変わろうと業種が変わろうと、個人的にも会社としても長く付き合いたいという、それだけの魅力があるということではないでしょうか。この人がどの会社に行こうと、お付き合いが続けばいつかまた何かのご縁ができて、個人的にも会社としてもきっと良いことがある――そんな魅力がある人なのです。
では、その魅力とは何でしょうか。それは「手柄をあげた」ということではないかと思います。
手柄をあげたの「あげた」は「差し上げた」という意味で、誰もがこの人の手柄だと分かっていることでも、必ず周囲の人の手柄にしてあげたということです。
何かの成果を上げると自分のやったことだと自慢する人が多いのに、この人は周囲の人の手柄にして褒め、感動したのです。手柄をもらって褒められて、しかもうれしいと言ってくれるのですから、この人のファンになるしかありません。
そうして、多くのファンの社員と一緒に、会社のために良かれと思うことをバリバリやっていたのです。
手柄をあげるなんてなかなかできることではありませんが、結果としては、それが人を動かす最善策なのです。
こうしてみると、退職されたこの会社にとっては大きな損失かもしれません。しかしこの人なら、今は辞めてもきっと何かのご縁を結び、立場は違えどこの会社のためになる情報を持ってくるに違いありません。
49回の送別会。そこは、手柄をもらった人々の“謝恩会”だったのです。
青春は4回ある
何を今さらと思われるかもしれませんが、いま私、青春まっただ中なのです。バカなことを言うなと叱られそうですが、まあ、聞いてくださいまし(笑)。
まずは、青春の意味をおさらいしましょう。
青春とは、季節の「春」を示す言葉であり、転じて、生涯において若く元気な時代、主に青年時代を指す言葉として用いられると、物の本に書いてあります。
ですので、四捨五入で70歳になる私に対しては、今さらどころか、バカも大バカ、いや、老バカと言われてもおかしくないほどむちゃくちゃな話なんですが、私が言う青春とは「人生100年時代には青春が4回ある」ということなのです。
青春が4回もあるなど、バカも老バカも通り越してボケバカ(言葉が見つかりません(笑))というほどのおどけ話と思われるかもしれません。しかし私、真面目もまじめ。大真面目でそう思うのです。
解説が必要ですね。
最初の青春は20代。これは誰もが納得の青春です。未来を向かって何を見ても楽しかったし、逆に、他愛のないことに苦しみ、涙を流したものでした。
2番目の青春は40代。社会人になって落ち着き、仕事に家族に向き合い、それなりに自信がついて、さあ、これからという時です。
3番目の青春は60代。仕事においても家庭においても一定の責任と言いましょうか役割を全うして、さあ、これからの人生をどうしようか……そんな時期です。
そして4番目の青春は80代。まさに人生の終末を控えて悔いなく終わろうと、何事にも真正面から向き合う、何も怖いものがない、そんな時期になるのでしょう。
4番目の青春は未体験なので想像ですが、3番目までは私が体験してきた青春であり、今まさに3番目の青春に生きているのです。
67歳になり、以前にも増して同窓会に顔を出しているのですが、私はその同窓会で3番目の青春に気付いたのでした。
同窓会では、当たり前ですが(基本的には)同じ歳の者同士が集います。それなのに、こうも違うのかといわんばかりに、青春組とそうではない組との違いがすごいのです。すごいとまで言わなくても……と思われるかもしれませんが、それほどまでに違いは明確なんです。
青春組はとにかく明るく、仕事でも遊びでも趣味でも、とにかくチャレンジ精神旺盛で、それこそ、いくつまでそんなことをするのかというほど前のめり。中には、アラスカ縦断スキーツアーに行くと決めてトレーニングに励む者もいるくらいです。
一方、そうではない組の人たちの話はおよそ三つです。一に年金、二は病気、三は孫。悪いとは言いませんが、いずれの話も、今となっては自分でどうすることもできないのなんだから、わざわざ話題にしなくてもいいじゃありませんか、と私は思うのです。
そんなことより、自分の意思で、さあ、次は何をする――それが楽しいと思うのです。この「さあ、次は何か」「明るく楽しく次は何をするか」が青春なんです。
つまり青春とは、明るく楽しい次の時期(季節)に臨む時期なのです。夏のように熱くなることを望み、そこに臨むことだと思うのです。
失敗してもいいじゃありませんか。また次の青春があると思えばへこたれることはありません。4番目の青春にドジっても5番目(100歳?)の青春で挽回しましょうや。
先にも言った通り、私は四捨五入で70歳=アラセブで、3番目の青春を謳歌しています。最初の青春の人も2番目の人も、そして3番目はもちろん、4番目の人も青春談義をいたしましょうよ。人には大人に成長して行く中で、それぞれの青春があるのです。歳は大きく違っても青春を語り合う仲間がいる人生。楽しくて楽しくて、もうたまりません(笑)。