【Vol.350】迷子になる子

 大いに愉快なことがありました。新幹線で隣に座った親子のことです。お母さんは40歳前後、子供は小学校1年生か2年生といったところでしょうか。

 私が車窓からボーッと外を眺めていると「○○君のお母さん、○○君は8号車の車掌室にいますから迎えに来てください」というアナウンスが流れました。そうしましたら、突然、私の隣に座っていた女性がガバッと立ち上がり「ったくもう、しようがないわね!」と言いながら席を離れました。
 数分後、苦笑いなのか照れ隠しなのかニヤニヤした坊やと、ぶぜんとした女性=お母さんが戻ってきました。「なんで新幹線の中を探検するのよ! ったく、いつもこうなんだから。自分の席くらい覚えておきなさい!」と、お母さんは周りを気にしながら恥ずかしそうに小声で子供を叱り始めました。私はそれがなぜかおかしくておかしくて、笑いをこらえてしまいました。

 だって、考えてみてください。新幹線の中で迷子に出会うことはめったにありませんし、その迷子のお母さんに呼び掛ける車掌さんのアナウンスも、そして、そのお母さんが隣の席にいて迎えに行くときの捨てゼリフ的な愚痴も……。こんな場面に出くわすなんて、一生のうちに何回もあることではありません。
 そこで私は考えました。きっとこの坊やはいつも探検ばかりしている常習迷子で、お母さんはそのたびに迎えに行く羽目になる常習保護者ではないのかと。

 さて、笑いをこらえながら横目でチラチラとこの親子の様子を見ていますと、あることに気付きました。それは、この坊やは迷子になるタイプの子供であること。「迷子になるタイプの子供」。変な言い方ですが、間違いなく、この坊やは生まれつき迷子になるタイプです。
 お母さんの後ろからトボトボとついて歩いてきたこの坊や、うなだれて反省しているようにも見えましたが、実際には目が笑っていました。そう、多分、どこに行っても探検したくなってしまうのでしょう。そして、席を立つときには自分の席を確認などしない、とにかく無鉄砲な坊やなのです。しかも「分かっていてやっている」のですね。
 一方で、お母さんもお母さんです。いつの間にか子供がいなくなっているのに、アナウンスがあるまで気付かないのか、あるいは気付いていても行動しないのか……大らかと言いましょうか、いいかげん(失礼!)と言いましょうか、要するに太っ腹なのです。
 無鉄砲坊やと太っ腹お母さん。坊やが迷子になる条件がそろっていると言えます。いつも何かをしなければ気が済まない、後先を考えずに行動する子供と、それを気にも掛けない、野放しなお母さん。これで迷子にならないわけはありません。

 断っておきますが、私はこれをいけないと言っているのではありません。むしろ、好ましいと言いましょうか頼もしいと言いましょうか、良いことだと思うのです。
 坊やが迷子になるのは日常茶飯事。ですから、そうなったときには、お巡りさんなり車掌さんなり、ちゃんと、しかるべき大人に「自分は迷子だ」と、子供自身が進んで申し出ているのです。先ほどは分かっていてやっていると書きましたが、別の視点からは、迷子になったときはしっかりと対応しているわけですから、沈着冷静で頭の回転が速い坊やとも言えます。

 この坊や、大物になるか、はたまた大きな間違いを犯すか(笑)……とにかく普通の人になるとは思えません。ただ、どちらに行っても何があっても、マズいことになれば落ち着いて最良の策を講ずるでしょう。

 そしてこれは、開発を志す者にとって最も基本的なスキルではないでしょうか。
 開発は、うまく進むときにはスイスイと行くのですが、ダメなときにはなぜダメなのかが分かります。そのとき、ひるまずに最善の策を打つ。それが一番大事なことで、その対応力が開発者には必要なのです。

 実は、この坊やは子供の頃の私と似ています。私も常習迷子でした。そして、迷子になったときにはいつも自分から交番に駆け込んでいましたし、迎えに来た母親にも同じように叱られていたのでした。

 この坊や、大人になったらどうなるのでしょうか。常習迷子同士、いつか会いたいですね(笑)。