【Vol.349】49回の送別会

 いやあ、すごい人がいるものです。50歳になったばかりの働き盛りの人が転職することになったのですが、送別会がなんと49回も行われたというのです。
 転職というのは、今いる会社を退職するわけですから、退職される会社としては、いくら円満退社だと言われても手放しで喜べないのではないでしょうか。しかも、この人の場合、円満退社は表向きで、実はやりたいことができなくなって会社との溝が広がった結果のことでした。ですから、そのことを知っている会社側の人はお祝いするどころか、送別会も形ばかりにしてほしいというのが本音でしょう。
 そのような状況なのに、49回も送別会が開催されたのです。そうでなくても、これほど惜しまれての転職というのも珍しいではありませんか。なぜそうなったのか、大いに気になるところです。

 繰り返しますが、この人はやりたいことがあって、それをバリバリとやっていたのに途中で会社の方針が変わり、やりたくてもできないようになったのです。ですから、大げさに言えば業務命令に背いての退職であり、まさに自己都合です。しかも、次の転職先を隠すこともなく聞かれれば素直に言っていたようで、会社側としては面目丸つぶれです。
 そんな状況ですから、いくらその人に好感を持っていても、会社側の思いを勘案すれば、送別会をすること自体、はばかられるでしょう。それも、普段は関係がない部署の人まで加わり、退職前の有給休暇を消化するのも惜しみながらの49回(およそ3カ月かかったそうです)ですから、これは、ある意味でクーデターみたいなものかもしれません。こうなっては、会社としては「いいかげんにしてくれ」と言わんばかりに不愉快な話です。
 ところが、さすがに役員クラスは出なかったとのことですが、会社のほとんどの部で、それも自主的に送別会が行われたのです。

 その人には、私も何度かお会いしたことがありました。そして、その人が退職すると聞いたとき、私も「送別会をしなければ」とすぐに思ったのです。ですから、その人をよく知る人なら私と同じように送別会をすると決めたに違いないことは、実は、想像に難くないことでした。
 本来、不本意なことであるはずの退職に対し、その理由を知った上で、祝福なのか激励なのか、これほどまでに名残惜しい49回の送別会につながった理由とは何か。
 私は、この人とは会社は変わってもずうっとお付き合いをしたいという強い願望が、49回の送別会というカタチになったのではないかとみています。

 普通、退職すれば同僚ではありませんし、仕事で付き合うこともなくなります。しかし、この人には、会社が変わろうと業種が変わろうと、個人的にも会社としても長く付き合いたいという、それだけの魅力があるということではないでしょうか。この人がどの会社に行こうと、お付き合いが続けばいつかまた何かのご縁ができて、個人的にも会社としてもきっと良いことがある――そんな魅力がある人なのです。

 では、その魅力とは何でしょうか。それは「手柄をあげた」ということではないかと思います。
 手柄をあげたの「あげた」は「差し上げた」という意味で、誰もがこの人の手柄だと分かっていることでも、必ず周囲の人の手柄にしてあげたということです。
 何かの成果を上げると自分のやったことだと自慢する人が多いのに、この人は周囲の人の手柄にして褒め、感動したのです。手柄をもらって褒められて、しかもうれしいと言ってくれるのですから、この人のファンになるしかありません。
 そうして、多くのファンの社員と一緒に、会社のために良かれと思うことをバリバリやっていたのです。
 手柄をあげるなんてなかなかできることではありませんが、結果としては、それが人を動かす最善策なのです。

 こうしてみると、退職されたこの会社にとっては大きな損失かもしれません。しかしこの人なら、今は辞めてもきっと何かのご縁を結び、立場は違えどこの会社のためになる情報を持ってくるに違いありません。

 49回の送別会。そこは、手柄をもらった人々の“謝恩会”だったのです。