【vol.299】自分がスターター

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同窓会に行きますと、ここ数年の話題は決まっていて、定年退職後をどうするか、中には、定年で自分の人生が終わると言い出す者もいるのです。私には定年がないので、彼らと同じ境遇ではないのですが、もう少し何とかならないのか、それが私の正直な気持ちです。

なぜそんな事を考えるのかと言いますと、病気や事故、事件や倒産など、実に様々な事情によって仕事が出来なくなった人を、私は、数多く見て来たからです。そのような人のことを想い出しながら、会社が決めた定年退職という規定に従うのは仕方ないとアッサリ諦めるのは、誤解を恐れずに申し上げますと、少し甘いのではないかと思うのです。厳しい言い方かもしれませんが、定年という決まりなどではなく、自分ではどうしようもない、言わば、止むを得ない事情によって仕事が出来なくなった人は、本当に大変なのです。

同情しているのではありません。むしろ、同情などはかえって失礼です。どのように抗ってもどうしようもない現実を受け入れることがどれほど大変か、私は実に多くの人達から学びました。そして、その人たちの多くが、その現実を受け入れた後、しっかりと自分の歩む道を探して再出発するのも、見て来たのです。

申し上げたいのは、定年ごときで自分の人生が終わるなんて言って欲しくないのです。長い人生の中で、誰かが決めたことに従順であれば事足りるのなら、それはそれで大いに幸せなことかも知れませんが、実はそんなことは殆ど無く、思うように行かないことの方が、本当に多いのではないでしょうか。
要は、終わりを誰かに決められて嘆くより、再出発をどうするか、それを自分で決めるのが大切なことではないのでしょうか。
誰かにストップを告げられる人生などは在り得ません。「あなたの仕事はもうお終い」と言われるのと同じように、「あなたの人生を終わりにしましょう」と言われてはたまりません。神様だってそんな乱暴なことを言う筈はないのです。

誰かのセイで自分の人生が決まるなんて、私にはとても我慢できません。何があっても何をされようと、新しい道を自分で探してスタートしたいのです。スポーツ競技で、スタートの合図をする人をスターターと言いますが、自分の人生のスターターは、実は自分だけなのです。

私のスターターは、常に自分でありたいと、同窓会で想ったのでありました。

でも、こんなことを言いながら、同窓会は実に楽しいのです。
「同窓会は老後の絆」なのですよ。