【Vol.250】情報のボランティア

 大震災の被災地、釜石に行ってまいりました。クライアントの社長さんが寄贈してくれた中古車や布団、お水や生理用品などをレンタカーに積み込んで、どうしても、直接お届けしたい一心でした。

 はじめは、家を無くした方々が多い中、自分のことで手いっぱいなところにお邪魔するのですから、行くこと自体、相当に迷いましたが、いつもお世話になっているお役所の方が、来てくれればそれはそれで嬉しい、と言ってくれたので、エイッとばかりに出掛けることにしたのです。

 東北自動車道と下(した)道で十数時間の行程です。80キロくらい手前の花巻に夜遅く到着、ホテルに入ったのですが、そこで、震度6強の地震に遭いました。余震といっても、相当に大きな地震でした。停電して水もストップ。トイレもシャワーも使えず、おまけに一緒に行ったスタッフがエレベーターに閉じ込められ、救出に一時間。まさに、被災地ど真ん中に居ることを知りました。

 よく朝、トイレが使えないので早々に出発、近くの駅のトイレが使えたまではよかったのですが、困ったのが朝食です。どこのお店もコンビニも、停電で営業出来ないのです。しばらく走っていたら、電気が無いのに開けてくれたコンビニを発見。その行列に並び、とにかく食糧なら何でもいいと、ハムやお菓子など、およそ朝食とは言えない物を食べながら走ったのですが、よく考えれば、被災直後は食糧さえも無かっただろうと、被災した皆さんのご苦労を慮(おもんぱか)りながら、釜石に入りました。

 お出迎え頂いたお役所の方々、思わずハグすると、ジーンと涙が出てきます。大地震の一週間前にお邪魔して、色々な開発案件をさあやるぞ、そう言って別れた、その釜石の変わり果てた姿。変わったというより、瓦礫の山のほかは何も無い釜石の町並みは、まさに地獄のようでした。
あちこちを回りながら、お元気な姿にホッとして、またハグ。一体、どちらが慰められているのか分かりません。とにかく、お元気な姿、それも思った以上にバリバリお元気なので、嬉しくてたまりませんでした。

 さて、被災地を回り、あちこちでそれぞれのお話を聞いていると、私は、想像していた事とは全く違う不自由がある事に気付いたのです。それは、情報です。言われて気付いたのですが、何せ、PCなどの情報機器や携帯電話などの通信機器、それと固定電話はもとより、何せ、殆どのモノが水没、しかも海水に浸ったのですから、情報系の全ての資機材とインフラが失われ、情報が途絶してしまったのです。

 PCに残されたアドレスが消え、リストが消え、顧客情報、画像、とにかくデータの全てが使えない状況、一体、このようなことが同時一斉に、しかも、これだけ広域的に起こったことがあったでしょうか。

 お役所の通信は、何と、衛星電話の一回線のみ、あとは職員個人の、使える携帯電話だけという状態です。インターネット環境も復旧しておらず、とにかく、情報系の不自由さは、こう言っては大変失礼ですが40年前に逆戻りといったところでしょうか。

 さあ、こうなったら、使える携帯電話を通じての情報ボランティアをするだけです。私の事務所でネット検索フル稼働させて、様々な調べ事、例えば、FRP製小型船舶の修理が出来る企業はどこにあるか、中古車のパワーショベルはないか、プレスブレーキを寄贈してくれる会社はないか等々、情報系のお手伝いをしようということにしたのです。

 如何でしょうか、皆さん。聞くと行くでは大違い。モノ的には大量の救援物資が届いてはいるのですが、情報というコト的には、未だ、大変に苦労されているのです。

 私の事務所も頑張りますが、情報のボランティア、皆さんのご協力をお願いします!