【Vol.231】志半ば

 志半ば(こころざしなかば)、志があるのに、それを達成することなく挫折する、そのような意味かと思いますが、どうも最近、それもいいのではないかと思うことがあるのです。ただし、挫折してはいけませんが。
 よく、志半ばで逝ってしまったなどと、亡くなった人のことを偲んで言うことがあります。しかし、変な言い方ですが、その亡くなった方は、逆に言えば、死ぬまで志を持っていたということではないでしょうか。あまのじゃくみたいに屁理屈を言うな、と言われるかもしれませんが、志もなく死ぬより、よっぽどいいと思うのです。例え、それが果たせなかったとしても、志を持ち続けて死ぬなら幸せじゃないでしょうか。
 また、先に書いた挫折も、よく考えれば、志を果たす前に自ら中断したならば、挫折ではなく、ただの中止で、なにも困ったことではありません。
 申し上げたいのは、志を持ち、それを果たすために一生懸命に頑張ること、それはいつも志半ばであり、成功までの道程であるということです。

 こんなことがありました。よく存じ上げている企業なんですが、以前、企画した案件が上手く行かず、途中で中断したのだそうです。まあ、自らの意思で中断したのですから、それは挫折ではなく、中止、もしくは休止だと思えばいいのですが、どうも挫折だと思っておられるのです。しかも、それがトラウマになっているらしく、二度と同じような思いはしたくない、そこに、そんな事とはつゆ知らず、同じような企画を別の方から提案を受けたのだそうです。
 そうしたら、ご想像の通り、まさにドンビキ。それに気が付かなかったのは提案した方々だけ、以前の挫折感がフラッシュバックされたのでしょう、その場の全員の顔色が変わったそうです。
 その話を聞いて、私も同じようなことが過去にあったことを思い出しました。でも、大切なことは、当時と今では、取り巻く環境が変わっている筈ということです。ですから、企画は同じでも、同じようにダメになると思うのは、些か早合点ではないでしょうか。
 以前の企画は、自らの意思で中断したんですから、休止したのと同じです。そして、しばらくして環境も変わり、今度は上手く行くかもしれない、そう考えて、もう一度チャレンジするようにしたら如何でしょうか。

 むしろ、気を付けないといけないのはトラウマです。一度の経験が、その後の全てを決めるようでは、人間は生きては行けません。ダメなことが一度あったらそれでお終いなんて、そんな儚(はかな)い人生なんてありえません。
 経験は、マイナスの部分があればある程、次への教訓につながります。そう思えば、トラウマも精神的な訓練だと思えばいいじゃありませんか。
 さらに言わせてもらえば、例え、今度の企画も上手く行かなかったら、それも訓練、そう思って次に備えればいいことです。
 鯉の滝登りのように、繰り返し繰り返し、急流にチャレンジして登りきることができた鯉は竜になる(故事)のと同じように、志を持ち続ければ、きっと成功するのです。

 一番大切なことは志。あきらめず、志を持ち続けることではないでしょうか。
 いつも志半ば、いつも次がある、そうすれば、いつも高みに臨むことができるのです。

 えっ、お前の志は何かって? ははは、いつも、多喜のぼりですよ。