【Vol.15】みんな同じはやっぱり変だ

 旅を続けていると色んなモノやコトに気が付きます。最近、特に気になっているのは、「街の風景が同じだ~」ということです。
 青森に行った時のことのです。どこかの航空会社の飛行機が着陸に失敗してオーバーランした数日前の夜でした。翌日は講演して帰京するという日程です。こんなときは、美味しいお店探しです。空港から乗ったタクシードライバーに教えてもらった店(地元のタクシーに聞くのが一番)に直行。カウンターに陣取り、いつものように、「地魚の美味しいものをお願い」。ところが、出てきたものは、どこでもいただける魚です。「ここだけのモノは?」とは言ったものの、ケースに並んだ魚は全国共通です。不味くはなかったのですが、店を出て思いました。「せめて、お国訛りを聞きながら食べたかった」。そうです、板さん達は完璧な標準語でもてなしてくれたのです。そう言えば、お客も標準語でした。どうも、テレビの影響でしょうか、この頃は全国どこでも同じ話し方、同じ笑い方、驚き方なのです。

 それがどうした、と言われるかも知れません。でも、私の言いたいことは、何でも同じは少し変だということです。街の風景も同じ。お店の設計も同じ。色使いも同じ。ガングロや女子高生の格好も同じ。携帯電話の話し方も同じ。あれもこれも、みんな同じなので、実は、廃れ方も同じになってしまうのではないか、ということなのです。いいときは勿論、悪くなって行くときにも、横並びで落ちて行く。そう思うのです。 

 個性溢れる地域の活性化、特色ある地方行政…。なんて言ったって、みんな同じの横並び。東京のようにいっぱい人がいるような都会にしたいのなら、みんなで引っ越してくればいい。テレビに映る虚飾の賑やかさは、本当の豊かさではないことを、今、私たちは真剣に考えるべきではないでしょうか。

 よそと違うということは、他から見ると新鮮で異なる価値を持つものなのです。そして、それが真の競争力となるのです。