【Vol.344】出世する人、できない人

 日本では、春が年度始めの会社や組織が多いこともあって、この季節になりますと私のクライアントでもお付き合い先でも、一斉に人事異動が行われます。それは悲喜こもごも。大げさに言えば、泣いたり笑ったりの人事にまつわるドラマです。
 私はそのような異動ドラマをおよそ半世紀にわたって見てきました。そのためか、出世して異動する人と(大変失礼ですが)飛ばされて異動する人、つまり上に行く人と行かない人が何となく分かるようになってしまいました。
 なぜそうなってしまったのか。それは、私が第三者としてそばで見ていたからだと思うのです。第三者という視点からは、上に行くべき人が行かなかったり自分は出世したいのにできない人がいたり、そんなすれ違いが見えるのです。
 さらに言わせてもらえば、その会社の制度や慣例といったしきたりとは別に、出世する/できないには、法則があると思うのです。
 何だか偉そうですけれども、実はその法則とは特別なことではなく、立ち居振る舞いやしぐさといった、その人の何気ない動きに表れています。ですから、それを見ていると、出世する一定の条件や関係性が分かるのです。

 その動きとは何か。じゃあ~ん。一言でいいますと「おべんちゃらを言わない腰の低さ」であります。解説しましょう。

 おべんちゃらというのは口先ばかりのお世辞のことであり、誠実さがないということなので、そんなことはせず、しかも腰が低い――そんな人です。よくあるイメージとしては、上目使いでもみ手をしながらペコペコしているのではなく、自然体で周囲に気配りをしながら相手を促すようにしている、というものでしょうか。この“自然体”というのが肝心でして、何かの企てといいましょうか隠れた意図がない――ここが大事です。
 滅私奉公とは私利私欲を捨てて尽くすことですが、今どき、会社に対してそんな人がいるのだろうかと言われるかもしれません。しかし、出世する人にとっては当たり前のこと。しかも、そこに自然体という奥ゆかしさ、つまり深みと品位が兼ね備えられているのです。
 そしてこれは、出世してからも多くの人に慕われるようになる大事な素養です。特に、次の幹部や管理職の人事を決める人から見ると、「出世したい」というギラギラした思いが丸見えの人やこびて出世をうかがう人などには人望がないということになり、「上を任せることはできない」となってしまいます。

 つまり、おべんちゃらを言わない腰の低さとは、奥ゆかしく会社のために尽くすこと、です。かえって分かりにくいと言われるかもしれませんが、これが本質です。
 入りたくて入社した会社をもっともっと良くしたいと思うのは当たり前です。その結果、自分も良くなるのですから、精いっぱい尽くすのです。
 でも、そこに出世したいという私心があると、それは会社のためではなくなります。ここに、出世する人とできない人の分かれ道があるように思います。
 出世する人はいつも一生懸命です。でもそれは自然にそうなっているだけで、ましてや周りの人に強要することはありません。
 逆に、出世できない人は何をするにも計算します。これをやったら誰にどれだけ評価してもらえるか、あるいは自分の評価を高めるためにはどうしたらいいか……こんなことばかりを考えます。いつも周りをうかがい、時にこびたり必要以上にへりくだったりするのです。

 出世する人とできない人とは、言い換えますと、黙っていても出世する人と、どんなに声を上げても出世できない人ということです。
 それは、どんな時代にあっても会社を引っ張るビジネスパーソンの基本的な資質であり、見ている人はそこを見て本当の人事を行っているのです。

 ところで私はどちら?ですって? ははは、私は出世するもしないも、ずうっと社長なんですよ。でも、もしもどこかに勤めたとしたらどうなるのでしょうか……。
 あっ、そもそも、その前提が無理ですね。私の入社を許す会社なんてあるはずはないでしょうから(笑)。