【Vol.332】 やめどき

 同級生が続々と定年退職しています。当たり前ですが、目の前でそのような情景を見ていますと、ああ、自分もそんな歳になったのかと思います。
 以前、自分の寿命は自分で決めようと、120歳まで生きると (笑) 決めたことはありますが、それは寿命のことで、いつ仕事をやめようなんて、今まで考えたことはありませんでした。
 それが、同級生の多くが定年退職になっているのを見て、自分も、いつか仕事を辞める時が来ることを意識するようになったのです。
 120歳までは生きるつもりですが、そうは言っても、その歳になっても、今のように仕事ができるとは、いくらノー天気な私でも言い張るつもりはありません。さすがに、120歳になる前に仕事をやめることになるでしょう。
 そして最近、「多喜さんはいつまでやるのですか?」と聞く人が増えたのも事実です。いつまでやるかと尋ねられ、ずっとやるとも言えず、やはり、○○くらいまでと言わなければいけないのかと、自問することが多くなりました。
 ではいつまで仕事が出来るのか、それを考えてみましたが、これが全くノーアイデアなのです。

 第一、サラリーマン経験の無い私は、定年という設定を身近に感じたことがありません。ただ同級生が定年になっているのを見聞きしているだけで、実際に同級生がどのようなキャリアを経て、どのような感情を以て定年を受け入れているか、そのようなことが分からないのです。
 まさに、「耳学問的定年」を自分のこととして考えるなんて想像もできないこと。それがようやく分ったのですから、ノー天気を通り越して無天気状態です。

 ですので、せめて本来の定年の意味と言いますか、そもそもの定年制度ができた理由は何かを考えてみました。
 定年制は大正時代にできた制度らしく、それは、終身雇用制と年功序列賃金体系が確立されつつあった時代でした。そして、年功序列賃金体系が確立し、これを維持するためには、ある程度の年齢になったら辞めてもらわなければ成り立ちません。それで、およそ55歳で定年にしようということになったのです。
 それが、長寿社会となった現代では、いくら何でも55歳では早すぎますし、私みたいに120歳まで生きるという者まで現れますと、55歳はおろか65歳も早過ぎます。
 この先、まだまだ働ける人の定年は、一体、どうなっていくのでしょうか。

 
 でも、こうしてみると定年制の目的は、後から続く人のために自ら先に辞めていくということではないでしょうか。つまり、自分から引退してその地位や役割などを、後進に譲るということなのです。
 従って、辞めるという時は後からくる人がいるというのが前提で、それがいない場合は、自分でやれる時までやるか、周囲から辞めた方がいいと言われるか、そのいずれかということになります。
 そうなりますと、私の場合、後進がいる訳でもなく、今のところ辞めろと言われている訳でもありませんので、結局、辞める時期を決める必要性はありません。

 何か、思わせぶりに書きだしたのに、何も決まらずでつまらないと言われるかもしれません。でも、仕方ないじゃないですか。自分で言うのも変ですが、この仕事が気に入っていますし、うれしいのです。そして何より、お陰様でしっかりと元気なのです。風邪もひかずにバカみたいですが、このままで行こうと思うのです。
 そういう訳で、もうしばらく、いや末永くお付き合いのほど、どうぞ宜しくお願いします。

 でも、辞めた方がいい、「やめとき」と思われたら言ってくださいね。その時、もう一度辞めるかどうか考えますが、多分、今と同じことを言うのでしょうね。へへへ。