【Vol.330】 35年通ったお店

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 長いこと仕事をしておりますと、色々なお付き合いがございます。クライアントは勿論ですが、仕事が終わって「さて一杯」というお付き合いも、それはそれで大事なことでございます。(笑)
 その、夕刻以後の大事なお付き合いは、私の場合、定期的にお邪魔する地域ごとに一つのお店と決めています。食事とお酒のお店、それぞれに一つと決めているのです。多分、多くの人はその地域の有名なお店をくまなく回る、というスタイルなのでしょうが、私は気に入ったらそのお店だけ。最初に決めたお店しか行かないのです。
 大体、クライアントへの訪問は月に一度か二度ですから、年間10数回だけのことです。でも、月に一度か二度必ず行くのですから、半年もすれば馴染みの客ということです。
 先ずは小料理屋さんで、つまみも魚系のこぢんまりとした感じが好みです。そこから始まり、お腹が満たされてホロ酔いになりますと、さあ、仕上げにバーボンでも呑みに行くかというのが定番です。仕上げのお店は、バーとクラブが混じったような(昔はスナックと言いましたか)ところです。

 その仕上げのお店、それも最古の馴染みのお店が閉店することになりました。最古と言うのも変ですが、この仕事をして46年。若い頃からそんな呑み方(お付き合いの仕方)ですから、相手が続いている間は通い続けている訳ですが、このお店は何と35年。ほかのお店は長くて10数年くらいで変わって(閉店して)しまうのに、それが35年ですから、まさに奇跡と言っても過言ではありません。(笑)
 聞けば、創業から37年目ということですから、私は二年目から通っている勘定です。最初(創業時)から通い続けている人はもういません。今となっては私も最古の客ということになってしまいました。
 最古の客、それはいいのですが、何と、ママとホステスさんも創業時から同じなのですから、これも凄いと思いませんか? (笑)
 最初に行ったとき、私は30歳。そのときは若かったママの御年は70歳で、勤続37年のホステスさん(今はチーママ)は63歳で、バーテンさんは72歳。こうなりますと、飲食店産業遺産 (笑) と言ってもいいくらい、これはもう、立派なレジェンドです。

 ママが言いました。「多喜君(私はずっとクン付けです)に(閉店の)お知らせの手紙を書こうと思っていたのよ。虫の知らせ? よく来てくれたわね」と、いつもの調子。およそ半年ぶりでしょうか。最近は、さすがに毎月は行けません。
 続けて、「さすがにわたしたち、足はガタガタ、腰はギックリ、もう大変なのよ。立っているのがやっとだけれど、このあたりが潮時と、お店の(賃貸)契約が切れるタイミングで止めることにしたの」と言うのです。
 「そうか。ご苦労様」。そう言うしかありません。「もっとやってよ」と言いたいところですが、さすがにそうは言いませんでした。正直、私もホッとしたのです。

 きっと、いつやめようか、思案していたに違いありません。私の35年もそうですが、お店の客は馴染みばかり。お世辞にも、もうキレイとは言えない(失礼!)高齢ママとホステスさんとバーテンさん。そこに来る客は同じ世代かその上なのです。
 老いた者同士が、たわいのない話をして「じゃあまたね」と言って帰る。そんな客に、もうやめるとはなかなか言えるものではありません。「動ける間は来るからな」と言う客に、そんなこと言える訳はないのです。
 しかし、そんなお付き合いゆえに、お互いにやれるところまではやるという、暗黙の了解があったのではないでしょうか。だとすれば、それはそれで本当に良い関係です。お互い、幸せな感じで終わることができそうです。

 この店で、私は35年の間、実に色々な人間ドラマを観て参りました。若いホステス(昔はおりました・笑)に入れ込む客や、ヒモ(女性を働かせて貢がせる情夫)に入れ揚げたり追い回されて疲れたホステスさん。その両方から相談を受けた私は、客というより身内のような付き合いでした。
 そして、いま考えますと、一緒に笑い、一緒に泣いたその経験から、私は多くのことを学んだように思います。

 そのお店が閉まります。35年、本当にお世話になりました。