【Vol.327】Kさんの定年

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 滅多にない、いや初めての経験でした。クライアントのご担当が定年になり、そのお祝いと言いましょうか、壮行会をすることになったのです。
 もちろん、私は社外の人間ですし、それもコンサルタントという立場ですから、会社を挙げて開催するということではなく、私人として、その方の同僚の方と三人、いつも行く焼き鳥屋で、気さくな会でした。
 ご担当はKさんとしましょう。Kさんは根っからの技術者ですが、途中から社内の技術広報誌を任されました。それが、ご一緒に飲んでいるときに、なぜか、そこに私のコラムを書こうということになりました。本当に、何の意図もなく、とにかく知財にまつわる話題を織り交ぜて書くことになったのです。
 その技術広報誌は、毎月一回の発行です。それが、Kさんが定年になるまで、何と80話、7年に及ぶロング・ランになってしまったのです。

 はじめは正直、10回も続ければ御の字と考えていました。それが、変な話(くれぐれも誤解のないように)、私はKさんが好きになってしまったのです。いや、厳密に言えば、Kさんの技術広報誌に賭ける意気込みと言いましょうか、取り組む姿勢と言いましょうか、Kさんのお人柄に惚れてしまったのです。
 そうなりますと、Kさんが一生懸命にやっておられる間は頑張ろうと決めたのです。Kさん以外から止めろと言われようと、どんな妨害があろうとも、Kさんが止めると言うか、Kさんの技術広報誌がある限り、何としても続けようと決めたのです。
 お金のことを言うのは嫌ですが、実は、原稿料はありません。元々、社内誌ですから、Kさんも業務時間を割いてのボランティア活動ですし、当然、私への予算がある筈はありません。それを承知での80話、7年間のお付き合いでした。
 私に直接言う人はいませんが、タダなのに、何でそんなに頑張って書くのか。それも毎月7年間もどうして書くのか、不思議に思う人も、多分、いるのではないでしょうか。
 その理由は簡単です。先ず第一に、Kさんが好き(くれぐれも誤解のないように・笑)だから。第二に、紙面を頂けることが嬉しいからです。

 この、紙面を頂けるということについて、少し説明が必要かもしれません。
 私はいつの頃からか、日経BP誌などにコラムを書き始めたのですが、言わば、それは仕事です。ですから、それは頂いた仕事に絡めた内容でなければならず、普段、私が気付いたことや様々な想いを勝手に書くことはできません。要するに、すっぴんの自分で書くことはできないのです。
 ですが、私は色々なことを書きたいのです。
 このすっぴんの自分で書ける紙面。それは滅多にありません。ここで言う紙面とは、多くの人が読むというのが前提で、私的な、例えば日記とかFacebookやTwitterといったものではありません。
 多くの人(広範な大人の社会人)が読む紙面を割いて頂けることは、そう簡単ではないのです。

 そうして書いてきたコラムですが、いよいよKさんが定年になったのです。
 ある日Kさんは、ご自分が定年になることを、私に告げました。
多分、私が続けると言えば、次の人に引き継ぐことも考えておられたかもしれません。でも私はそれを聞いて、Kさんの定年と同時に筆を置くと言いました。

 Kさんの定年は、私のこのコラムの定年でもありました。今現在、私は他にもいくつかのコラムを書かせてもらっていますが、このコラムはこれで定年です。
 Kさんと、Kさんの為に(初めて言わせてもらいます)書いたコラム。Kさんと一緒に定年です。