【vol.304】子供のように

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最近、子供のようだと言われることがあります。雪国の仕事に出掛けた時、以前、北海道の帯広で買ったスパイク付きのブーツを履いて、雪の中に無理やり入って歩き回った時にも言われました。

 このブーツ、帯広のスーパーで、他の商品を買おうと思って入った時、偶然に見つけたブーツです。たまに東京でも雪は降りますが、カチンカチンに凍る帯広の道路のような状況にはなりません。スパイク付きのブーツは、多分、北海道の、それもかなり冷える道東や道北地域しか売っていないブーツだと思われますが、とにかく嬉しくて買ってしまったものでした。
 そのブーツを、道路は滅多に凍ることのない新潟に履いて行き、滑るはずもない、普通に積もった道路脇の雪を踏みしめて嬉しがっていたのです。

 実は、私、子供のようだと言われると嬉しいのです。それは、オジサンやジジイみたいだと言われよりはいいと言っているのではありません。(笑) 本当に、子供のようだと言われるのが嬉しいのです。
 理由は簡単で、子供のようなら、まだまだ無邪気であるということです。無邪気であるということは素直で何にでも興味を持ち、新しいことを嬉しいと思う気持ちがあることです。
 逆に、大人びているというのは、私にとって嬉しいことではありません。ちっとやそっとのことで驚かなくなっては、感動することも少なくなります。

 よく見ると、大人びていると言われる人より、いつも若々しいと言われる人の方が、そして、若々しいより、子供みたいと言われる人の方が、新しいことにチャレンジしているのではないでしょうか。
 無邪気で無垢な気持ちで何かにチャレンジすることは、それだけ集中していることですし、何より、邪心 (独りよがりな金儲けや出し抜く気持ち) がありません。
 勿論、子供じみた行動で大人に迷惑を掛けるようなことはよくありませんが、純な気持ちですることは、微笑ましいことであったり、周囲の人を和ませて皆の為になる、そんなパワーがあるように思います。

 不思議です。昔、本当に子どもだった時は、どうしたら早く大人になれるのだろうかと思っていたのに、永く大人をしてきた今、子供のようになりたいのです。
 どうも、気持ちに錆が出ているのかも知れません。
 電極や電線は、錆が出たり腐食が進むと、電気が伝わり難くなり、
様々な障害や不具合を引き起こしますが、
気持ち(物事に対する心の持ち方)も同じではないでしょうか。
 どのような気持ちでいるか、それは、大人になってからが非常に大事になって来るのではないかと、最近、つくづく思うようになりました。

 綺麗な花を見たとき、昔から見ているから当たり前だと無表情でいるより、いつも綺麗だと感動して嬉しくなる方が、余程、楽しいじゃありませんか。
 確かに、人生とは、子供から少年になり、青年から壮年になり、そして、老いて死ぬことです。でも、気持ちがずっと子供なら、何か得をしたように思うのは私だけでしょうか。

 さあ皆さんも、私と一緒に雪を踏みましょう!
 ちょっと違うような気もしますが、まっ、イイじゃないですか。(笑)