【vol.292】人生のレール

 友人が新聞に載っていました。本当に久しぶりです。高校の同級生ですが、以前の同窓会以後、もう20年近く会うことがありませんでした。その友人と新聞で会うことが出来たのです。

 記事によりますと、地域の中堅企業の社長になり、新事業が上手く行って評判になっている、そんな内容です。そして、ニコニコと笑っている柔和な顔写真を見て、いい年の取り方をしているなと思いました。そして同時に、彼が就職をした翌年の同窓会(もう、40年も前)でのことを想い出しました。

 とにかく優秀でした。大学は国立有名大学。そこを優秀な成績で卒業し、地域一番の銀行に入社したのです。そして、入社式で新入社員代表で挨拶したことを誇らしげに話した彼はこう言いました。「これで人生のレールは敷けた。しっかりやれば頭取になる。俺の人生はバラ色だ」と言ったのです。

 とっくに大学を中退し、社会人になっていた私は、オヤッと思って言いました。「それは良かった。だけど、敷かれたレールが見えて、本当に嬉しいか?」と、敢えて突っ掛ったのです。

 これは本心でした。優秀でソツもなく、誰にも愛されるタイプの彼が、急に、何の魅力も無くなったように感じたからです。敷かれたレールに乗ろうとしている彼を、少し可哀そうとも感じました。有名大学に入ったのも実力、そして地域ナンバーワン企業に入社したのも実力なのに、誰かが敷いたレールに乗ると言ってしまっては、実力を発揮する機会や自分で選ぶ道を失うことになる、そう思ったのです。

 それから20年が経ち、また同窓会で会いました。彼は私が言ったことを覚えていて、こう言いました。「お前の言う通りだったよ。頭取どころか、40で銀行を出され、あちこち関連企業を転々とさせられて、人の言うなりさ。これじゃあ俺の人生つまらない。エイッと今の会社に転職したんだ。これからどうなるか分からないが、ハッキリと言えるのはレールが無い。それは確実さ。ははは」と笑うのでした。

 嬉しくなりました。私の言った通りになったからではありません。彼は自分で自分の道を切り拓くことの嬉しさを知ったのです。自分で考え、自分でやる。その喜びを知ったのです。

 その友人が、その会社の社長になり、自分で決めた事業が上手く行っている。何という幸せなことでしょう。きっと、辛いことや苦しいこともあったでしょう。でも、そんなことを感じさせない写真に写る柔和な顔は、それを乗り越えた歴史と自信に裏付けられているのです。新聞に向かって「近々会おうぜ」と言った私。その日一日、何か、特別の日のようにウキウキしてしまいました。

 そして数日後、この嬉しさを直接友人に伝えようと、今年の同窓会の予定を聞きましたが、何と、今年の同窓会はその二週間前に終わっていたのでした。

 でも、彼のことですから、次の新事業も成功させて、また新聞で会えることでしょう。そう思うと、新聞の中小企業欄を見るのが楽しみになりました。

 友人の活躍を見て、私は再認識いたしました。人生のレール、やはり、無いのです。