【Vol.279】泰然自若進軍ラッパ

 いやあ、凄い経営者がいたものです。開発していた製品の図面が盗まれて、社員がオロオロしていた時に、「図面が盗まれた? それがどうした?」と、涼しい顔で言ったというのです。
 その社長の名前は豊田佐吉。
 そうです、あのトヨタの始祖、豊田佐吉翁なんです。
この話、トヨタの元役員さんに教えてもらったのですが、本当の話だそうで、開発していた製品の図面が誰かに盗まれてしまった時、「だからどうした、そんなことを心配するより、もっとよいものを開発すればいいのだ」と言い放ったというのですから、いやあ、本当に凄い人がいたものです、大感銘を受けました。

  このお話を伺った経緯を説明しましょう。最近、私たちが立ち上げ、活動しているパワーデバイス協会の会合で、協会の会員を増やして行くにはどうするかという話になりました。一部の会員が、協会が国際標準化を促すのはよいかもしれないが、そのことでかえって我が国メーカーの技術が流出してしまい、競争力がなくなるのではないかと心配しているという話になり、その対応をどうするか、そんな話題になったのです。その時、トヨタの元役員さんが「そんな心配をする必要はありませんよ。標準というのは、誰にも作れるモノを標準とするのです。そうして、同じ仕様のモノをあちこちで作れば、不要な競争をしなくても済むようになり、品質も一定の枠に収まり、コストも下がる。その上で、同じ仕様のモノで独自の付加価値を付けたければ、他社ではできないものを自社で先行開発すればいいのです。それと似た話ですが、昔、豊田佐吉翁がこう言ったのです…」という流れでした。

 この話、私は知りませんでしたから、本当に感動してしまいました。今どきの経営者の中に、このように言える経営者はいるのでしょうか。

 いたとしても、それは極々少数派。コストばかりに汲々としている経営者にとって、多分、図面が盗まれたと知った時、よりコストを下げるメーカーが現れてしまうと恐れ、担当者を強く非難するのが関の山ではないでしょうか。佐吉翁が泰然自若として、「それがどうした…」と言い放つ度量も凄いのですが、そこにある本質を、ものづくり企業の経営者は今こそ、大いに学ばなければいけません。

 そしてよくよく見渡すと、似たような話が私たちの身の回りに有ることに気付きます。

 例えば、我が国の大手メーカーをリストラや定年退職などによって退社した技術者が、韓国や中国に渡り、彼の地のメーカーに技術を伝授していると言われています。

 そして、これは技術漏えいであり、結果、日本のメーカーの競争力が失われているという話をよく聞きます。

 この背景には、我が国メーカーの退役技術者の処遇問題や、過剰なコスト重視経営による社員の士気が低下、やりがいの喪失など、潜在的な問題もあるようですが、いずれにしても、技術漏えいとか盗まれたと大騒ぎをするのは、如何にも開発の目的が、先進的な製品(商品)開発ではなく、主眼はコスト競争の為の技術開発であるということではないでしょうか。我が国の経営者はコストを気にするだけで、技術者に要求するのはコスト競争力向上の為の技術開発なのです。

 このような時こそ、「技術が漏れて、それがどうした。もっと良い製品を開発すればよし。心配するな!」と言えたなら、多くの社員の士気は上がり、技術者の開発魂に火が付くのではないでしょうか。

 最近、弊社のクライアントも含めて、一旦、中国や韓国に進出した企業が戻って来るケースが増えています。其々に、様々な理由はありますが、その多くは、もう彼の地におけるコストダウンの優位性は無くなっている、というものです。そうかもしれません。

 労働環境に対する改善要求や賃金格差などが先進国に近づけようとすれば、当然、コストは上がります。更に、彼の地と我が国の基本的な技術レベルの差は大きく、いくら教えても、ある程度以上の技術レベルに行かないので、もう見切りを付けたというケースも多いようなのです。私はここが肝心だと思うのです。

 日本の技術は、案外、私たちが思うより、他国より本質的なところで大きく水をあけていると言えるのではないでしょうか。

 申し上げたいのは、勿論、自信過剰になってはいけませんが、佐吉翁のように、追い付かれそうになったら、追い付かれないようにすればいいという強い意志、即ち、それが開発魂だと思うのですが、そのような覇気を持つことが大切なのです。

 私たちは今、様々な問題と課題を抱えて苦しんでいます。しかし、それを乗り越えようと思うなら、佐吉翁のように、開発魂に火を点ける〝泰然自若進軍ラッパ”を鳴らすことも、経営者の仕事ではないでしょうか。

 以上