【Vol.273】お別れと出会い

 急逝、まさに言葉通りの出来事でした。大阪でお世話になった方が、不慮の事故で亡くなったのです。その方の娘さんがPCに遺された宛先にメール、それで知ることが出来た悲しいお知らせでした。九日間、ICU(集中治療室)で頑張られたようですが、意識が戻ることはなく、そのまま、ご家族に見守られて静かに逝かれたと、礼儀正しくも淡々としたご連絡でした。

 何を置いても行かなければ、そんな気持ちで大阪に参りました。さぞかし無念であったでしょう。57歳、まだまだやりたいこともあったでしょう。でも、遺影写真のお顔は、いいや、そんなことはもういいから、よく来てくれてありがとう、そう言っておられるような笑顔で、私たちを迎えてくれていました。

 お別れの会は無宗教式で行われました。最初に、参列者一人一人が献花をして、お別れの言葉を書いたカードも添えました。およそ200人は来られていたのではないでしょうか。故人の人望のあつさが偲ばれます。

 献花が終わって、故人の好きな曲を全員で歌いました。最初は懐かしいフォークソングです。私もよく歌う曲で、歌いながら泣いたのは初めてです。ああ、故人はこの歌が好きだったのかと、初めて知りました。いつも、仕事が済んだ後でお好み焼き屋で飲みましたが、もしも二次会のカラオケに行ったら、きっと、この曲を歌ってくれたのだろうと思うと、涙が止まりませんでした。

 弔辞は、娘さんお二人が、それぞれ、お父さんにお別れをするかたちでした。上の娘さんは10か月前に結婚され、その時に故人が「こんな嬉しい日なのだから、パパは泣かないよ」、そう言われ、その時に撮った写真がこの遺影写真だと知りました。何とも晴れやかで優しい目をされている、その笑顔の訳を知りました。

 下の娘さんは、就活で苦労された時、「パパとママが良い子に育てたのだから、絶対に大丈夫。心配しないで」と、携帯にメールをしてくれたことが本当に嬉しかったと、泣きながら、お礼を言いました。

 最後は、奥様のお礼の言葉です。参列者に向かって、本当に気丈に、気品に満ちた内容でした。ICUで頑張ってくれたことに感謝していること、夫の存在がまさに大黒柱であったことなど、あの時間があったからこそ、本当に感謝することができたと言われ、そして、その思い出を家族全員が共有し、最後のお別れは穏やかな気持ちになれたと、キリッとした表情で述べられました。

 こんなに素晴らしいご家族とご一緒だったことを、私は殆ど知りませんでした。取り乱すことなく、逆に私たちを気遣うようなご家族の様子は、故人のお人柄ゆえのことです。深く優しいお気持ちに満ちていたであろう家庭の様子が、今、ご本人がいなくなって、初めて知ることが出来ました。

 東京からの参列者は、私一人だったようで、知り合いの方々から声を掛けて頂きましたが、フッと、故人がご自分の家族に会わせたくて呼んでくれたのではないか、失礼かもしれませんが、そんな気持ちになりました。「あなたとはもうお別れだけど、うちの家族を紹介するよ。何かあったら、声を掛けてやってくださいね」、改めて遺影写真を見上げると、そう言われる声が聞こえるようでした。

 故人とはお別れですが、ご家族とは、素晴らしい出会いでありました。 合掌。