【Vol.270】同窓会は老後の絆

 実は私、同窓会なんて好きじゃなかったのです。いつも、同じ昔話。大昔の話を、忘れないようにしようと、敢えて繰り返しているのではないかと思うくらいに退屈な会話、そう思っていたのです。

 しかし、昨年あたりからでしょうか、そう思うことが無く、逆に、新鮮な会話が多くなってきたのです。第一に、仕事の話が殆ど無くなりました。いや、仕事の話はタブーになった感さえあります。それはそうです。殆どの者が定年を迎え、或は迎えつつあり、長い仕事人生に終止符を打つ、言い換えれば否応なしに打ちざるを得ない状況になってしまったのです。

 こうなると、同窓会で話す内容に過去形はありません。これからどうするか、第二の人生をどう生きるか、そのような内容の話が中心になって来るのです。勿論、昔話は出るのですが、皆の肩書きが無くなったせいか、もう、昔の話はいいではないか、そんな感じさえするのです。

 もう一つ、大きな変化がありました。これまで殆ど同窓会に出席しなかった者が、出席するようになったのです。多分、理由は簡単で、出席したくとも忙しかったか、転勤先が遠かったり、海外赴任などで、物理的に出席できない者が、数多く居たのです。

 それが定年になって、よおし、これからはしっかりと出席するか、そんな意気込みで来てくれるようになりました。中には、卒業以来、初めて顔を見る者もいて、それはそれは懐かしいやら、誰か分からないほどの変わりよう、まるで新入生のように、大いに楽しい会話が弾むのです。

 大学を中退した私にとって同窓会とは、高校のそれを指すものでして、まして、故郷を離れた私には、中学とか小学生時代の同窓会の案内は来ないようになってしまいました。しかし、高校時代の同窓生は数多く東京などの関東地域に住んでいて、身近な存在でもあるのです。その同窓会、故郷(静岡)と関東、それぞれ年に一度はありますから、しっかりと出席すれば年に二回、皆の顔を見ることが出来るのです。

 そのような、清水東高関東同窓会。私はそれまでに一度もやらなかった、同期生で行う二次会の幹事を、自ら手を挙げて、やることにしたのです。

 実はこの前回の同窓会、それはそれは楽しい時間だと気付きました。先にも書いたように、皆の言うことが変わり、前向きな一体感を感じたのでした。しかしそのとき、それまでは気付かなかった、ずうっと幹事をしてくれていたS君の苦労を、あらためて知ったのでした。

 関東地域に住んでいる同窓生に案内状を出し、その回答を整理し、人数を確定して会場の手配、さらには二次会の会場までを手配してくれていたS君の奮闘ぶりに、情けないですが、初めて気付いたのです。

 それを知ったら、もう、その恩に報いるしかありません。友達のともだちは皆トモダチ、などと言っている手前もありますが、何と言っても、S君に楽をさせたいと思ったのでありました。

 当日、私が幹事の同窓会。それはそれは不手際ばかりでしたが、当のS君の笑顔、私にとっては最高でした。今までは気付かなかったのですが、それまでは会の進行に気を配るばかり、あまり楽しむ余裕が無かったのかもしれません。S君のあんな笑顔を、私は初めて見たのです。

 実は、S君とは高校時代には殆ど話をしませんでした。クラスも違い部活も違い、まして、彼は有名大学から優良大企業へと進んだエリートです。私とは真逆と言ってもいいほど、関わりはありませんでした。そのS君と、前回と今回の同窓会、こんなにもわずかな時間なのに、ずうっと一緒に居るような、それこそ大親友になってしまったのです。

 仕事の話は一切無し。家族の話や孫のこと、そして病気のことなどが主な話題ですが、以前には何も感じなかった話題に花が咲くのです。先にも書いたように、ピカピカの一年生のように、これからの人生に対する不安と期待が入り混じったような、そんな気持ちを、正直にぶつけ合うのです。

 そして、今回の同窓会から表明しているキャッチコピーも好評でした。それは、私が同窓生に送信するメールのタイトルにしたものです。「同窓会は老後の絆」。このタイトルで打つメール、皆が、いいねと言ってくれたのでした。

 如何でしょうか皆さん。同窓会は老後の絆。私は本当にそう思いますし、きっと皆さんも、そんなお年頃になるのです。そして、それまで気づかなかった親友に出会えるのです。別れ際に誰かが言いました。年に二回じゃ少な過ぎる。毎月一回やろうじゃないか、と。

 いつか書きましたが、私の人生はこれから60年(勝手に決めました)。その人生に、こんな素晴らしい親友がいてくれるのです。本当に、有り難いことです。